Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa
その世尊、阿羅漢、正等覚者に、礼拝いたします。
Dhammanīti
法の規範(ダハンマニーティ)
1.
1.
Vanditvā ratanaṃ seṭṭhaṃ[Pg.1], nissāya pubbake garuṃ;
Nitidhammaṃpavakkhāmi, sabbalokasukhāvahaṃ.
最上の三宝を礼し、かつての師たちを拠り所として、全世界に幸福をもたらす規範の法(ニーティ・ダンマ)を説こう。
2.
2.
Ācariyocasippañca, paññāsutaṃkathādhanaṃ;
Desocanissayomittaṃ, dujjanosujanobalaṃ.
師と学術、智慧と多聞、語るべき富、場所と依止と友、悪人と善人と力。
3.
3.
Itthīputtocadāsoca[Pg.2], gharāvāsokatākato;
Ñātabbocaalaṅkāro, rājadhammopasevako;
Dukādimissakoceva, pakiṇṇakotimātikā.
妻と子と下僕、家庭生活の是非、知るべき装飾、王の徳と奉仕者、二則などの混在、そして雑多な章、これが目次である。
4.
4.
Kintehipādasussasā[Pg.3], yesaṃnatthigarūniha;
Yetappādarajokiṇṇā, tevasādhūvivekino.
この世に師を持たぬ者に、足元での奉仕が何になろうか。師の足の埃を浴びる者こそが、賢明で徳ある者である。
5.
5.
Vināgarūpadesantaṃ, bālolaṅkattumicchati;
Sampāpuṇenaviññūhi, hasabhāvaṃkathaṃnuso.
師の教えなくして、愚者は自らを飾ろうとする。賢者たちの中で、どうして物笑いの種にならずにいられようか。
6.
6.
Uṭṭhānāupaṭṭhānāca, sussusāparicārikā;
Sakkaccaṃsippuggahaṇaṃ, garuṃārādhayebudho.
勤勉、奉仕、拝聴、身の回りの世話、そして恭しく学術を習得することによって、賢者は師を満足させるべきである。
7.
7.
Upajjhācariyānañca[Pg.4], mātāpitūnamevaca;
Sakkaccaṃyonupaṭṭhāti, sutopitassatādiso.
和上や師、そして父母に対して恭しく仕える者があれば、その者の子もまた(自分に対して)そのようになるであろう。
8.
8.
Upajjhācariyānañca, mātāpitūnamevaca;
Sakkaccaṃyoupaṭṭhāti, sutopitassatādiso;
和上や師、そして父母に対して恭しく仕える者があれば、その者の子もまたそのようになるであろう。
9.
9.
Sammāupaparikkhitvā;
Akkharesupadesuca;
Coraghātosissosiyā,Garucoraṭṭakārako.
文字や教えを正しく十分に吟味しなければ、弟子は師を害する者となり、師は法を盗み国を損なう者となる。
10.
10.
Paṇḍitosutasampanno[Pg.5], yatthaatthīti cesuto;
Mahussāhenataṃṭhānaṃ, gantabbaṃvasutesinā.
“多聞な賢者がそこにいる”と聞けば、学問を求める者は、多大なる熱意をもってその場所へ行くべきである。
11.
11.
Sukhaṃrukkhassachāyāva, tatoñātimātāpitu;
Tatoācariyorañño, tatojinassasāsanaṃ.
樹木の陰は心地よいが、親族や父母の庇護はそれ以上に心地よい。師や王の庇護はさらに心地よく、勝者(仏陀)の教えはそれにもまして心地よい。
12.
12.
Pāsāṇachattaṃgarukaṃ, tatodevānacikkhanaṃ;
Tatovuḍḍhānamovādo, tatojinassasāsanaṃ.
石の傘は重いが、神々の教えはそれより重い。長老たちの助言はさらに重く、勝者(仏陀)の教えはそれ以上に重みがある。
13.
13.
Tulaṃsallahukaṃloke[Pg.6], tatocapalajātiko;
Tatovuḍḍhānanovādo, yatidhammepamādako.
天秤は軽いが、落ち着きのない者はそれよりも軽い。長老たちの忠告を無視する者はさらに軽く、法の修行を怠る修行者はそれ以上に軽い。
14.
14.
Sutisammutisaṅkhyāca, yogānitivisesakā;
Gandhabbāgaṇikāceva, dhanubedācapūraṇā.
聖典、伝承、算術、ヨーガ、処世規範、論理学、音楽、舞踏、弓術、古伝承。
15.
15.
Tikicchāitihāsāca[Pg.7], jotimāyācachandati;
Ketumantācasaddāca, sippāṭṭhārasakāime.
医学、歴史、天文学、幻術、韻律学、修辞学、文法学。これらが十八の学術である。
16.
16.
Alasassakutosippaṃ, asippassakutodhanaṃ;
Adhanassakutomittaṃ, amittassakutosukhaṃ;
Asukhassakutopuññaṃ, apuññassakutonibbānaṃ.
怠惰な者にどうして学術があろうか。学術なき者にどうして富があろうか。富なき者にどうして友があろうか。友なき者にどうして幸福があろうか。幸福なき者にどうして功徳があろうか。功徳なき者にどうして涅槃があろうか。
17.
17.
Sippaṃsamaṃdhanaṃnatthi, sippaṃcorānagaṇhanti;
Idhalokesippaṃmittaṃ, paralokesukhāvahaṃ.
学術に並ぶ富はない。学術は盗賊も奪うことができない。この世において学術は友であり、来世においては幸福をもたらすものである。
18.
18.
Bodhaputrasadāvityaṃ[Pg.8], mākhedācariyaṃgaruṃ;
Sadesepūjitorājā, budhosabbatthapūjito.
賢き子よ、常に学問に励め。師を悩ませてはならない。王は自国においてのみ敬われるが、賢者はあらゆるところで敬われる。
19.
19.
Bodhaputrakimālasse, abodhobhāravāhako;
Bodhakopūjito loke, bodhaputradinedine.
賢き子よ、なぜ怠けるのか。無知な者は荷を運ぶだけの者にすぎない。賢者は世に敬われる。賢き子よ、日々励め。
20.
20.
Rūpayobbannasampannā, visālakulasambhavā;
Vityāhīnānasobhanti, nigandhāivakiṃsukā.
美貌と若さに恵まれ、高貴な家柄に生まれたとしても、学問のない者は輝かない。それは、香りのないキンスカの花のようなものである。
21.
21.
Mātāsatrurupitāca[Pg.9], bālakālenasikkhita;
Na sobhatisabhāmajjhe, haṃsamajjhebakoyathā.
子供に教育を受けさせない父母は、子にとって敵も同然である。その子は、白鳥の群れの中にいる鶴のように、集会の中で輝くことがない。
22.
22.
Guṇoseṭṭhaṅgataṃyāti, nauccesayanevase;
Pāsādasīkharevāso, kākokiṃgaruḷosiyā.
徳によってこそ優れた地位に至るのであり、高い座所に座るからではない。宮殿の頂に住んだからといって、カラスが金翅鳥になるだろうか。
23.
23.
Sabbasutamadhiyate, hīnamukkaṭṭhamajjhime;
Sabbassaatthaṃjāneyya, nacasabbaṃpayojaye.
劣ったもの、優れたもの、中くらいのもの、あらゆる学問を学ぶべきである。すべての意味を知るべきであるが、そのすべてをひけらかす必要はない。
24.
24.
Nalokesobhatemuḷho[Pg.10],Kevalattapasaṃsako;
Apisampihitokūpe,Katavijjopakāsito.
ただ自画自賛するだけの愚者は世の中で輝くことはない。しかし学問を修めた者は、たとえ深い井戸に隠れていても、その存在は自ずと知れ渡る。
25.
25.
Madantadamanaṃsatthaṃ, khalānaṃkurutemadaṃ;
Cakkhusaṅkhārakaṃtejaṃ, ulūkānamivandhakaṃ.
傲慢さを抑えるための学問も、悪人にとっては傲慢さを増長させるものとなる。それは、目を整える光が、フクロウにとっては盲目にするようなものである。
26.
26.
Bhojanaṃmethunaṃniddā,Gaveposecavijjati;
Vijjāvisesoposassa,Taṃhīnogosamobhave.
食、性、睡眠は、牛にも人にも共通している。知識こそが人の特質であり、それを欠く者は牛と同じである。
27.
27.
Yosissosippalobhena[Pg.11], bahuṃbahuṃvagaṇhāti;
Mugovasupinaṃpassaṃ, nasakkākathituṃ paraṃ.
学術への強欲さからあまりに多くを詰め込もうとする弟子は、夢を見た聾唖者がそれを他人に語ることができないのと似ている。
28.
28.
Sussusāsutavaḍḍhanā, paññāyavaḍḍhanaṃsutaṃ;
Paññāyaatthaṃjānanti, ñātoatthosukhāvaho.
聞こうと欲することで多聞が増し、多聞によって智慧が増す。智慧によって真理を知り、知られた真理は幸福をもたらす。
29.
29.
Anāgataṃbhayaṃdisvā[Pg.12], dūratoparivajjaye;
Āgatañcabhayaṃdisvā, abhitohotipaṇḍito.
未だ来たらぬ恐怖を見ては、遠くからこれを避けよ。既に来た恐怖を見ては、賢者は恐れることがない。
30.
30.
Lobhaṃkodhaṃmadaṃmānaṃ, tandiṃissaṃpamattakaṃ;
Soṇḍaṃniddālukaṃmakkhaṃ, maccherañcajahebudho.
貪欲、怒り、放漫、慢心、倦怠、嫉妬、放逸、耽溺、眠気、恩を仇で返すこと、そして物惜しみを、賢者は捨てるべきである。
31.
31.
Saddhāhiricaottappaṃ, bāhusaccaṃviraṃsati;
Paññācasattadhammehi, sampannopaṇḍitomato.
信仰、慚、愧、多聞、精進、智慧。これら七つの徳を備えた者が賢者であるとされる。
32.
32.
Diṭṭhedhammecayoattho[Pg.13],Yocatthosamparāyiko;
Atthābhisamayādhīro,Paṇḍitotipavuccati.
現世における利益と、来世における利益。これら二つの利益を成就するがゆえに、賢明な者は“賢者”と呼ばれる。
33.
33.
Sabhāvasadisaṃvākyaṃ, sabhāvasadisaṃpiyaṃ;
Sabhāvasadisaṃkodhaṃ, yojānātisapaṇḍito.
本性にふさわしい言葉、本性にふさわしい愛、本性にふさわしい怒りを、正しく知る者が賢者である。
34.
34.
Bhūpālopaṇḍitoniccaṃ, nevatulyokudācanaṃ;
Sadesepūjitorājā, budhosabbatthapūjito.
王と賢者は、いかなる時も決して等しくはない。王は自国においてのみ敬われるが、賢者はあらゆるところで敬われる。
35.
35.
Paṇḍitassapasaṃsāya[Pg.14], daṇḍobālenadiyyate;
Paṇḍitopaṇḍiteneva, vaṇṇitovasuvaṇṇito.
愚か者は賢者を称賛する代わりに罰を与える。賢者が賢者によって称賛されてこそ、真に黄金のように称賛されたことになる。
36.
36.
Attanāyadiekena, vinithenamahājanā;
Vinayaṃyantisabbepi, kodhaṃnāseyyapaṇḍito.
自身一人がよく修練されることで、多くの人々もまた修練へと向かう。賢者は怒りを滅ぼすべきである。
37.
37.
Sarīrassaguṇānañca, dūramaccantamantaraṃ;
Sarīraṃkhaṇaviddhaṃsi, guṇātukappaṭhāyino.
身体と徳との間には、極めて大きな隔たりがある。身体は一瞬で滅びるが、徳は永劫にわたって留まるものである。
38.
38.
Atthaṃmahantamāpajjaṃ, vijjaṃsampattimevaca;
Vicareyyāmānathaddho, paṇḍitosopavuccati.
大いなる富や知識、あるいは成功を手に入れたとしても、高慢にならずに振る舞う者、その人が賢者と呼ばれる。
39.
39.
Nālabbhamatipatthenti[Pg.15], naṭṭhampinacasocare;
Vippatyañcanamuyhanti, yenarātevapaṇḍitā.
得られないものを望まず、失われたものを嘆かず、逆境にあっても惑わされない人々、それこそが賢者である。
40.
40.
Gaṇṭhiṭhāneekapade, nātimaññeyyapaṇḍito;
Kimakkoveḷupabbhāro, timahādīpabhānudo.
難解な箇所や一言の教えにおいて、賢者は慢心してはならない。竹藪の蛍が、広大な大地を照らす太陽に及ぶだろうか。
41.
41.
Guṇadosesunekena, atthikocivivajjito;
Sukhumālapadumassa, naḷaṃbhavatikakkhaḷaṃ.
徳と欠点のどちらか一方だけを持つ者はいない。優美な蓮の花であっても、その茎は硬く荒いものである。
42.
42.
Sumahantānisatthāni, dhārayantābahussutā;
Chedāyosaṃsayānantu, klissantilobhamohitā.
膨大な経典を保持し、博識であって、他者の疑念を晴らす者であっても、貪欲に惑わされるならば苦しむことになる。
43.
43.
Dosaṃpisaguṇedisvā[Pg.16], guṇavādīvadantina;
Nalokovijjamānampicandepassatilañjanaṃ.
徳の中に欠点が見えても、徳を語る者は徳を語る。世の人は、月にある斑点を見ようとはしない。
44.
44.
Sakiṃpiviññūdhīrena, karotisahasaṅgamaṃ;
Attatthañcaparatthañca, nibbānantaṃsukhaṃlabhe.
賢明で揺るぎない人と一度でも交わるならば、自利と利他、そして涅槃という究極の幸福を得るであろう。
45.
45.
Nadītīreṭṭhitekūpe, araṇitālavaṇḍake;
Navadāpādinatthīti, namukhevacanaṃtathā.
川岸の井戸、火打ち木、タラジュの果実、塩。それらの中に求めるものが“無い”と言ってはならないように、口先だけで“無い”と言うべきではない。
46.
46.
Paṇḍitoapuṭṭhobherī[Pg.17], pajjunnohotipucchito;
Bālopuṭṭhoapuṭṭhopi, bahuṃvikatthatesadā.
賢者は問われなければ太鼓のように静かであり、問われれば雨雲のように語る。愚か者は問われても問われなくても、常に多くを自慢げに語る。
47.
47.
Guṇasampannalaṅkāro, sabbasattahitāvaho;
Parattatthaṃnacareyya, kutosopaṇḍitobhave.
徳という装飾を備え、一切の生きとし生けるものに利益をもたらしながら、もし他者のために行動しないのであれば、どうして賢者といえようか。
48.
48.
Saparatthaṃcaredhīro, asakkontosakaṃcare;
Tampicevaasakkonto, pāpāttānaṃviyojaye.
賢明な者は自利と利他のために励むべきである。それが叶わぬなら自利のために励み、それさえも叶わぬなら、せめて自身を悪から遠ざけるべきである。
49.
49.
Sabbaṃsuṇātisotena[Pg.18], sabbaṃpassaticakkhunā;
Nacadiṭṭhaṃsutaṃdhīro, sabbicchitumarahati.
耳であらゆることを聞き、目であらゆることを見る。しかし、賢明な者は、見たことや聞いたことのすべてを欲してはならない。
50.
50.
Cakkhumāssayathāandho, sotavābadhiroyathā;
Paññāvāpiyathāmugo, balavādubbaloriva;
Athaatthesamuppanne, sayeyyamatasāyitaṃ.
目があっても盲人のように、耳があっても聾者のように、智慧があっても唖者のように、力があっても弱者のように振る舞い、事が起きたときには死人のように横たわるべきである。
51.
51.
Atijātaṃmanujātaṃ, puttamicchantipaṇḍitā;
Avajātaṃnaicchanti, yohotikulachinnako.
賢者は、親より優れた子、あるいは親に似た子を望む。家系を壊すような、親より劣った子は望まない。
52.
52.
Tayovapaṇḍitāsatthe[Pg.19], ahamevātivādica;
Ahamapitivādīca, nāhanticaimetayo;
世には三種の賢者がいる。“私こそが”と言う者、“私もまた”と言う者、そして“私ではない”と言う者の三種である。
53.
53.
Nasāsabhāyatthanasantisanto,Natesantoyenavadantidhammaṃ;
Rāgañcadosañcapahāyamohaṃ,Dhammaṃbhaṇantāvabhavantisanto.
善き人がいない場所は集会ではない。法を語らない者は善き人ではない。貪欲と怒りと迷いを捨てて、法を語る者こそが善き人である。
54.
54.
Bālecummattakebhūpe, gurumātāpitūsvapi;
Saṅghejeṭhecabhātari, nadosākariyābudhā.
愚か者、狂人、王、師、父母、僧団、そして兄に対しては、賢者は非礼を犯してはならない。
55.
55.
Attanāmanotāpañca[Pg.20], ghareduccaritānica;
Vañcanañcaavamānaṃ, matimānapakāsaye.
自らの心の悩み、家庭内の不始末、欺かれたこと、そして侮辱されたことを、賢い者は他人に漏らしてはならない。
56.
56.
Paradāraṃjanettiṃva, leḍḍuṃvaparasantakaṃ;
Attāvasabbasattānaṃ, yopassatisapaṇḍito.
他人の妻を母のように、他人の財宝を泥土の塊のように、そして一切の生きとし生けるものを自分自身のように見る者、その人が賢者である。
57.
57.
Saṭhenamittaṃkalusenadhammaṃ,Paropatāpenasamiddhibhāvaṃ;
Sukhenavijjaṃpharusenanāriṃ,Icchantiyetenacevapaṇḍitā.
欺瞞によって友を、不浄によって法を、他者を苦しめることで繁栄を、安逸によって知識を、粗暴さによって女性を得ようと望む者たちは、決して賢者ではない。
58.
58.
Nipuṇesuhameseyya[Pg.21], vicinitvāsutatthiko;
Sattaṃhukkhaliyaṃpakkaṃ, bhājanepitathābhave.
学問を求める者は、微細な事柄を精査すべきである。鍋の中で炊かれた米が一粒でわかるように、器の中にあるものも同様に知られるのである。
59.
59.
Vasuṃgaṇhantidūraṭṭhā, pabbateratanocite;
Namilakkhāsamīpaṭṭhā, evaṃbālābahussute.
遠くに住む人々は、宝の積まれた山から財宝を手に入れるが、近くに住む未開の人々はそれを手にしない。それと同じように、愚か者は博学な人のそばにいても、その恩恵に預からない。
60.
60.
Hiraññenamigānaṃva[Pg.22], susīlenaasīlino;
Adhammikassadhamena, bālānampisutenakiṃ.
鹿にとっての黄金、不道徳な者にとっての徳行、非道な者にとっての正法がそうであるように、愚か者にとっての博学に何の意味があるだろうか。
61.
61.
Appassutāyaṃpuriso, balibaddhovajīvati;
Maṃsānitassavaḍḍhanti, paññātassanavaḍḍhati.
学びの少ないこの人は、牡牛のように生きる。その肉は増えるが、その智慧は増えることがない。
62.
62.
Appassutosutaṃappaṃ, bahumaññatimāniko;
Sindhūdakaṃapassanto, kūpesoyaṃvamaṇḍuko.
学びの少ない者は、自惚れて、わずかな知識を多大であると考える。それは、大海を見たことがなく、井戸の中にいる蛙のようである。
63.
63.
Tadamināpijānātha[Pg.23], sobbhesupatīresuca;
Saṇantāyantikusobbhā, tuṇhīyantimahodadhī.
このことによっても知るがよい。溝や川において、小さな溝は音を立てて流れ、大海は静かに行くのである。
64.
64.
Subhāsitaṃuttamamāhusanto,Dhammaṃbhaṇenādhammaṃ, taṃdutiyaṃ;
Piyaṃbhaṇenāpiyaṃtaṃtatiyaṃ,Saccaṃbhaṇenālikaṃtaṃcatutthaṃ.
聖者たちは、善く説かれた言葉が最高であると言う。第一に、正法を語り非道を語らぬこと。第二に、愛語を語り不快な言葉を語らぬこと。第三に、真実を語り虚偽を語らぬこと。
65.
65.
Sīhamedāsuvaṇṇeva[Pg.24], nacatiṭṭhantiracate;
Paṇḍitānaṃkathāvākyaṃ nacatiṭṭhatidujjane.
獅子の脂が黄金の中にのみ留まり、銀の中には留まらないように、賢者の説法は悪人の中には留まらない。
66.
66.
Mahātejopitejoyaṃ, mattikaṃnamuduṃkare;
Āpopāpetimudukaṃ, sādhuvācācakakkhaḷaṃ;
大いなる熱火であっても、粘土を柔らかくすることはできないが、水はそれを柔らかくする。それと同じように、善き言葉は過酷な者をも和らげる。
67.
67.
Mudunāvaripuṃjeti, mudunājetidāruṇaṃ;
Nāsiddhimudunākiñci, yatotomudunājaye.
柔和さによって敵に勝ち、柔和さによって峻烈な者に勝つ。柔和さによって成し遂げられないことは何もなく、ゆえに人は柔和さによって勝利すべきである。
68.
68.
Candanaṃ [Pg.25] sītalaṃ loke, tato candaṃva sītalaṃ;
Candana canda sītamhā, sādhuvākyaṃ subhāsitaṃ.
世において栴檀は涼しく、月はそれ以上に涼しい。栴檀や月の涼しさよりも、善く説かれた言葉はさらに清涼である。
69.
69.
Sītavāco bahumitto, pharusotu amittako;
Upamaṃ ettha ñātabbā, candasūriyarājunaṃ.
穏やかな言葉を話す者には多くの友があり、荒々しい言葉を話す者には敵が多い。このことについては、月と太陽という二つの王の比喩を知るべきである。
70.
70.
Pattakalloditaṃappaṃ, vākyaṃsubhāsitaṃbhave;
Khudditassakadannampi, bhuttaṃsādurasobhave.
適切な時に語られたわずかな言葉こそが、善き言葉となる。飢えた者にとっては、粗末な食べ物であっても、食べれば美味となるようなものである。
71.
71.
Satthakāpibahuvācā[Pg.26], nādarābahubhāṇino;
Sopakārampyudāsīnaṃ, nanudiṭṭhaṃnadījalaṃ.
有益な言葉であっても、多弁な者の言葉は敬われない。助けとなっても、川の水が顧みられないのと同じではないか。
72.
72.
Nātivelaṃpabhāseyya, natuṇhisabbadāsiyā;
Avikiṇṇaṃmitaṃvākyaṃ, pattakāleudīraye.
長々と話しすぎるべきではなく、また常に沈黙しているべきでもない。適切な時に、散漫でない節度ある言葉を発すべきである。
73.
73.
Icchitabbesukammesu, vācāyakusalaṃmūlaṃ;
Vācāyakusalenaṭṭhe, icchitabbaṃnasijjhati.
望むべき諸々の事柄において、言葉こそが巧みさの根本である。言葉が巧みでなければ、望むべき目的は成就しない。
74.
74.
Hatthapādāsiropiṭṭhi, kucchipañcaimejanā;
Mukhamevūpasevanti, sadāvaanusāsitā.
手、足、頭、背、腹というこれら五つの部位は、常に命じられるままに、ただ口のためにのみ仕えている。
75.
75.
Saddhādhanaṃsīladhanaṃ[Pg.27], hiriottappiyaṃdhanaṃ;
Sutadhanañcacāgoca, paññāvesattamaṃdhanaṃ.
信仰という財、戒律という財、羞恥という財、慙愧という財、聞法という財、布施という財、そして智慧こそが七番目の財である。
76.
76.
Itthīnañcadhanaṃrūpaṃ, purisānaṃdhanaṃkulaṃ;
Uragānaṃdhanaṃvisaṃ, bhūpālānaṃdhanaṃbalaṃ;
Bhikkhūnañcadhanaṃsīlaṃ, brahmaṇānaṃdhanaṃvijjā.
女性の財は容姿であり、男性の財は家柄である。蛇の財は毒であり、王の財は権力である。比丘の財は戒律であり、バラモンの財は知識である。
77.
77.
Narūpaṃnacapaññāṇaṃ[Pg.28], nacakulañcasambhavo;
Kālavippattisampatte, dhanamevavisesakaṃ.
容姿でも智慧でも家柄でも生まれでもなく、不運に見舞われた時には、富こそが人を助ける特別なものとなる。
78.
78.
Dhanahīnaṃcajemittā, puttadārāsahodarā;
Dhanavantaṃvasevanti, dhanaṃlokemahāsakhā.
富を失った者からは、友人や妻子、兄弟までもが離れていく。富を持つ者には人々が寄り添う。この世において富こそが大きな味方である。
79.
79.
Sattāsadūpasevanti, sodakaṃvāpiādikaṃ;
Sabhogaṃsadhanañceva, tucchātecejahantite.
生きとし生けるものが水のある池を慕うように、享受すべきものと富がある者を常に慕う。それらが空になれば、彼らは去っていく。
80.
80.
Attanāvakatālakkhī[Pg.29], alakkhīattanākatā;
Nahilakkhiṃalakkhiñca, aññoaññassakārito.
幸運は自らによって作られ、不運もまた自らによって作られる。幸運や不運を、他人が他人のために作ることは決してないのである。
81.
81.
Dhanavājotiyorājā, nadīvejjotathāime;
Pañcayatthanavijjanti, natatthadivasaṃvase.
富豪、賢者、王、河川、そして医師。これら五つが存在しない場所には、一日たりとも住んではならない。
82.
82.
Yatthadesenasamāno[Pg.30], napītinacabandhavo;
Nacavijjāgamokoci, natatthadivasaṃvase.
その土地において尊敬が得られず、喜びもなく、親族もおらず、また何の知識も得られない場所には、一日たりとも住んではならない。
83.
83.
Amānanāyatthasiyā, santānaṃavamānanaṃ;
Hīnasamānanāvāpi, natatthadivasaṃvase.
尊敬がなく、善き人々が軽蔑され、あるいは卑しい者と同等に扱われる場所には、一日たりとも住んではならない。
84.
84.
Desamosajjagacchanti, sīhāsappurisāgajā;
Tattevanidhanaṃyanti, kākākāpurisāmigā.
獅子や善き人々、象は、その場所を捨てて他へ行く。烏や卑劣な男、鹿は、その場所で破滅を迎える。
85.
85.
Yatthālasocadakkhoca[Pg.31], sūrobhirusamapūjā;
Nasantotatthavasanti, avisesakarenako.
怠惰な者と勤勉な者、勇気ある者と臆病な者が平等に扱われる場所には、賢者は住まない。そこには区別をする者がいないからである。
86.
86.
Calatyekenapādena, tiṭṭhatyekenapaṇḍito;
Nāsamikkhyaparaṃṭhānaṃ, pubbamāyatanaṃcaje.
賢者は片足で動き、片足でとどまる。次の場所を十分に確かめることなく、以前の場所を捨ててはならない。
87.
87.
Ṭhānabhaṭṭhānasobhante, dantākesānakhānarā;
Itiviññāyamatimā, saṭhānaṃnalahuṃcaje.
歯、髪、爪、そして人間は、本来の場所を離れると輝きを失う。智者はこのことを知って、自分の居場所を軽々しく捨てるべきではない。
88.
88.
Guṇosabbaññutulyopi, sīdatyekoanissayo;
Anagghaṃratanaṃmaṇi, hemaṃnissāyasobhate.
全知者に等しい徳であっても、頼るものがなく独りであれば沈んでしまう。無比の価値ある宝石であっても、黄金に支えられてこそ輝くのである。
89.
89.
Nasevepharusaṃsāmiṃ, taṃpisevenamacchariṃ;
Tatoniggaṇhikaṃsāmiṃ, nevāpaggaṇhikaṃtato.
粗暴な主人に仕えてはならない。また、物惜しみする主人にも仕えてはならない。さらには、部下を虐げ、引き立てることのない主人にも仕えてはならない。
90.
90.
Parokkheguṇahantāraṃ[Pg.33], paccakkhepiyabhāṇinaṃ;
Tādisaṃnopaseveyya, visakumbhaṃpalobhitaṃ.
陰で徳をそしり、面と向かっては甘言を弄する。そのような者とは親しんではならない。それは口に蜜を塗り、中に毒を満たした瓶のようなものである。
91.
91.
Piṭṭhitokkaṃniseveyya, niseveaggikucchinā;
Sāmīnaṃsabbakāyena, paralokaṃamuḷhako.
背に太陽を、腹に火を受けよ。来世において迷いのない者は、全身全霊をもって主人に仕えるべきである。
92.
92.
Nasevekatapāpamhi, na sevālikavādane;
Naseveattadatthamhi, naseveatisantake.
悪行をなす者に近づいてはならず、虚言を吐く者に近づいてはならない。利己的な者に近づいてはならず、過度に執着する者に近づいてはならない。
93.
93.
Mahantaṃnissayaṃkatvā[Pg.34], khuddakopimahābhave;
Hemapabbataṃnissāya, hemapakkhībhavantite.
大いなるものに頼れば、小さき者もまた大いなる存在となる。金山(須弥山)に身を寄せれば、鳥たちもまた黄金の翼を持つようになる。
94.
94.
Asahāyosamattopi, tejasīkiṃkarissati;
Nivātasaṇṭhitoaggi, sayamevūpasammati.
いかに有能で勢いのある者でも、助ける者がいなければ何を成し得ようか。風のない所に置かれた火は、自ずから消えてしまう。
95.
95.
Rukkhāsubhūminissāya, pupphaphalaṃpavaḍḍhati;
Sappūrisūpanissāya, mahāpuññaṃpavaḍḍhati.
樹木が良き大地に拠って花や実を繁らせるように、善き人に拠って大いなる功徳は増大する。
96.
96.
Analasoacaṇḍikko[Pg.35], asaṭṭhosucisaccavā;
Aluddhoatthakāmoca, tamuttaṃuttamonaro.
怠ることなく、怒りっぽくなく、欺くこともなく、清らかで誠実であり、強欲でなく他者の利益を願う者。そのような人こそが、最高の人である。
97.
97.
Ahitepaṭisedhoca, hitesucaniyojako;
Byasanecāpariccāgo, saṅkhepaṃmittalakkhaṇaṃ.
不利益を退け、利益(幸福)へと導き、災難にあっても見捨てないこと。これが、友としての特徴の要約である。
98.
98.
Āturebyasanesace[Pg.36], dubbhikkheparaviggahe;
Rājadvāresusāneca, saṅkhepaṃmittalakkhiṇaṃ.
病のとき、災難のとき、飢饉のとき、外敵の侵入のとき、王宮の門においても墓地においても(寄り添うこと)。これが友としての特徴である。
99.
99.
Hitesanosumittoca, viññūcadullabhojano;
Yathosadhañcasāduñca, rogahārīcasajjano.
利益を願い、賢明である良き友は得がたい存在である。病を治す薬が時に甘くもあるように、善き人もまた人を救うものである。
100.
100.
Yodhuvāniparicajja, adhuvānopasevati;
Dhuvānitassanassanti, adhuvesukathāvakā.
確かなものを捨てて、不確かなものを追い求める者は、確かなものを失う。不確かなものについては言うまでもない。
101.
101.
Luddhamatthenagaṇheyya[Pg.37], thaddhamañjathikammunā;
Chandānuvattiyāmuḷhaṃ, yathābhūtenapaṇḍitaṃ.
欲深い者は財物をもって、傲慢な者は恭順をもって、愚かな者はその意に従うことで、賢者は真実をもって、それぞれ仲間にすべきである。
102.
102.
Saccābhikkhaṇasaṃsaggā, asamosaraṇenaca;
Etenamittājiranti, akāleyācanenaca.
あまりに頻繁に会うこと、全く会わないこと、そして不適切な時に頼みごとをすること。これらによって、友情は衰える。
103.
103.
Tasmānābhikkhaṇaṃgacche, nacagacchecirāciraṃ;
Kālenayācaṃyāceyya, evaṃmittānajīyare.
それゆえ、あまり頻繁に訪ねてはならず、また久しく遠ざかってもならない。適当な時に頼みごとをせよ。そうすれば、友情が損なわれることはない。
104.
104.
Yenamittenasaṃsaggā[Pg.38], yogakkhemovihīyati;
Pubbevajjhabhavaṃtassa, rakkheyyaggiṃvapaṇḍito.
その友と交わることで安穏(解脱への道)が損なわれるならば、賢者は火を避けるように、あらかじめその者との関わりを断つべきである。
105.
105.
Yenamittenasaṃsaggā, yogakkhemopavaḍḍhati;
Kareyyattasamaṃvuttiṃ, sabbakiccesupaṇḍito.
その友と交わることで安穏が増すならば、賢者はあらゆる事柄において、その友を自分自身のように大切に扱うべきである。
106.
106.
Pabbepabbekamenucchu, visesarasavāggato;
Tathāsumettikosādhu, viparittovadujjano.
サトウキビが節を追うごとに甘みを増すように、善き友との交わりも時を経るほどに味わい深くなる。悪人はその逆である。
107.
107.
Tenevamunināvuttaṃ[Pg.39], dhammāyekecilokiyā;
Tatālokuttarāceva, dhammānibbānagāmino.
それゆえ聖仙(ブッダ)はこう説かれた。“世間的な法も、出世間的な法も、涅槃に至る法も、すべては(善き友に依るのである)”と。
108.
108.
Kalyāṇamittamāgamma, sabbetehontipāṇinaṃ;
Tasmākalyāṇamittesu, kātabbaṃhisadādaraṃ.
善友(善知識)に依ることによって、すべての生きとし生けるものにこれらの利益がもたらされる。ゆえに、常に善友に対して敬意を払うべきである。
109.
109.
Yohavekataññūkatavedidhīro,Kalyāṇamittedaḷhabhatticahoti;
Dukkhitassasakkaccaṃkarotikiccaṃ,Tabbhāvaṃsappurisaṃvadantiloke.
恩を知り、受けた恩に報いる賢者であり、善友に対して堅い忠実さを持ち、苦しんでいる者のために誠心誠意尽くす者。世の人は、そのような性質を持つ人を“善き人”と呼ぶ。
110.
110.
Hitakāroparobandhu[Pg.40], bandhūpiahitoparo;
Ahitodehajobyādhi, hitamāraññamosadhaṃ.
利益をもたらす者は他人であっても親族であり、不利益をもたらす者は親族であっても他人である。身中に生じても病は害であり、森にあっても薬草は益となる。
111.
111.
Padumaṃvamukhayassa, vācācandanasītalaṃ;
Madhutiṭṭhatijivhagge, hadayesuhalāhalaṃ;
Tādisaṃnopaseveyya, taṃmittaṃparivajjaye.
顔は蓮華のごとく、言葉は白檀のように涼やかで、舌先には蜜があるが、心には猛毒を隠し持っている。そのような友とは親しんではならず、遠ざけるべきである。
112.
112.
Katvānakusalaṃkammaṃ[Pg.41], katvāna, kusalaṃpure;
Sukhitaṃdukkhitaṃhontaṃ, sobāloyonapassati.
以前になした不善の業や、なした善の業によって、現在の幸せや苦しみがあるということを、愚かな者は見ようとしない。
113.
113.
Kālakkhepenahāpeti, dānasīlādikaṃjaḷo;
Athiraṃpithiraṃmaññe, attānaṃsassatīsamaṃ.
愚かな者は、布施や持戒などを後回しにして時を無駄にする。自分自身が不確かな存在であるにもかかわらず、永遠に続くかのように思い込んでいる。
114.
114.
Bālodhapāpakaṃkatvā, nataṃchaṭṭitumussahe;
Kiṃbyagghaādigacchanto, padaṃmakkhetumussahe.
この世で悪事をなした愚者は、それを捨て去ることができない。獲物を追う虎が、自らの足跡を消すことができないのと同じである。
115.
115.
Niddhanopicakāmeti[Pg.42], dubbaloverikaṃkaro;
Mandasatthovivādatthī, tividhaṃmuḷhalakkhaṇaṃ.
貧しいのに贅沢を望み、無力なのに敵を作り、無学なのに論争を好む。これら三つは、愚か者の特徴である。
116.
116.
Anavhāyaṃgamayanto, apucchābahubhāsako;
Attagguṇaṃpasaṃsanti, tividhaṃhīnalakkhaṇaṃ.
呼ばれてもいないのに出向き、問われてもいないのに多弁を弄し、自らの功績を自慢する。これら三つは、卑しい者の特徴である。
117.
117.
Yathācuṭṭamparāpakkā, bahirattakamevaca;
Antokimilapūraṇo, evaṃdujjanadhammatā.
外側は赤く熟しているが、内側は虫で満たされている果実がある。悪人の本性もそれと同じである。
118.
118.
Yadūnakaṃsaṇatitaṃ, yaṃpūraṃsantamevataṃ;
Aḍḍhakumbhupamobālo, yaṃpūrakumbhovapaṇḍito.
足りないものは音を立て、満ちているものは静かである。愚か者は半分ほど水が入った瓶のようであり、賢者はなみなみと満たされた瓶のようである。
119.
119.
Budhehisāsamānopi[Pg.43], khalobahutaketavo;
Ghaṃsiyamānopaṅgāro, nilamattaṃnigacchati.
賢者に教えられても、小人は多くの欺瞞に満ちている。擦られている炭が、ただ黒さを出すだけであるのと同じである。
120.
120.
Muḷhasissopadesena, kunārībharaṇenaca;
Khalasattūhisaṃyogā, paṇḍitopyavasīdati.
愚かな弟子への教示、悪しき妻の扶養、そして邪悪な者たちとの交わりによって、賢者でさえも没落する。
121.
121.
Cārutāparadārāya, dhanaṃlokatapattiyā;
Pasutaṃsādhunāsāya, khalekhalatarāguṇā.
美貌は他人の妻のために、富は世を苦しめるために、熱意は善人を滅ぼすためにある。小人における資質は、いっそう邪悪なものである。
122.
122.
Itohāsataraṃloke[Pg.44], kiñcitassanavijjati;
Dujjanoticayaṃāha, sujanaṃdujjanosayaṃ.
この世において、これ以上に滑稽なことは何もない。悪人自らが、善人を指して“悪人だ”と言うことである。
123.
123.
Navināparavādena, ramantidujjanākhalu;
Nasāsabbarasebhutvā, vināsuddhenatussati.
実に、悪人は他人の誹謗なしには楽しまない。犬がすべての味を食しても、不浄なもの(糞尿)なしには満足しないようなものである。
124.
124.
Tappateyātisambandhaṃ, dravaṃbhavatyavanataṃ;
Mududujjanacittaṃna kiṃlohenapamīyate.
熱せられれば結合し、溶けて流れ落ちる。悪人の柔軟な心は、どうして鉄(金属)に例えられないことがあろうか(鉄のように熱せられた時だけ軟化する)。
125.
125.
Tasmādujjanasaṃsaggaṃ[Pg.45], āsivīsamivoragaṃ;
Ārakāparivajjeyya, bhūtakāmovicakkhaṇo.
それゆえ、自身の幸福を願う賢明な人は、毒蛇を避けるように、悪人との交わりを遠くから避けるべきである。
126.
126.
Dujjanenahisaṃsaggaṃ, sattutāpinayujjati;
Tattovaḍayhatyaṅgāro, santokāḷāyataṃkaro;
悪人との交わりは、敵対することさえも適当ではない。熱い炭は人を焼き、冷めた炭は手を黒く汚すからである。
127.
127.
Dujjanovajjanīyova, vijjāyālaṅkatopice;
Maṇinālaṅkatosanto, sabbokiṃnubhayaṃkaro.
悪人は、たとえ学識で飾られていても避けるべきである。宝石で飾られた蛇であっても、すべての人にとって恐ろしいものではないか。
128.
128.
Agginodahatodāyaṃ, sakhābhavatimāluto;
Soevadīpaṃnāseti, khalenatthevamittatā.
風は森を焼く火の友となるが、同じ風が灯火を消し去る。小人との間に真の友情は存在しない。
129.
129.
Sabboduṭṭhokhaloduṭṭho[Pg.46], sabbāduṭṭhatarokhalo;
Mantosadhehisosabbo, khalokenupasammati.
蛇も悪であり、小人も悪であるが、小人は蛇よりもいっそう悪である。蛇は呪文や薬草によって鎮められるが、小人は何によっても鎮められない。
130.
130.
Hadayaṭṭhenasutena, khalonevasusīlavā;
Madhunākoṭaraṭṭhena, nimbokiṃmadhurobhave.
心の中に学識を蓄えていても、小人は決して戒徳ある者にはならない。洞の中に蜂蜜があっても、ニームの木が甘くなることがないのと同じである。
131.
131.
Asataṃsampayogena, santopiasantobhave;
Maggokacavarayutto, ujumpiasādhubhave.
悪人と交わることで、善人でさえも悪人となる。塵芥にまみれた道は、たとえ真っ直ぐであっても、通りにくいものとなる。
132.
132.
Putimacchaṃkusaggena[Pg.47], yonaroupanayhati;
Kusāpiputiṃvāyanti, evaṃbālupasevanā.
腐った魚をクシャ草の端で包むなら、その草までもが腐臭を放つようになる。愚者に親近することも、これと同じである。
133.
133.
Bālaṃnapassenasuṇe, nacabāsenasaṃvase;
Bālenālāpasallāpaṃ, nakarenacarocaye.
愚者を見てはならない、聞いてはならない、共に住んではならない。愚者と語り合ってはならない、それを好んではならない。
134.
134.
Anayaṃnetidummedho, adhurāyaniyuñjati;
Dunnayoseyyasohoti, sammāvuttopikuppati;
Vinayaṃsonajānāti, sādhusenaadassanaṃ.
愚かな者は不幸へと導き、なすべきでないことに従事させる。誤った導きを良しとし、正しく諭されても腹を立てる。彼は規律を知らない。そのような者には会わないのが一番である。
135.
135.
Yāvajīvaṃpicebālo[Pg.48], paṇḍitaṃpayirūpāsi;
Nasodhammaṃvijānāti, dabbisūparasaṃyathā.
たとえ愚者が一生の間、賢者に仕えたとしても、彼は真理(法)を理解することはない。匙が汁の味を知らないのと同じである。
136.
136.
Phalaṃvekadaliṃhanti, hantiveḷunaḷaṃphalaṃ;
Sakkārokāpurisaṃhanti, gabbhoassatariṃyathā.
芭蕉はその実によって滅び、竹や葦もその実によって枯れる。小人は名声やもてなしによって滅びる。それは、ラバの子が母胎を滅ぼすようなものである。
137.
137.
Sunakhosunakhaṃdisvā, dantaṃdassetihiṃsituṃ;
Dujjanodujjanaṃdisvā, rosayaṃhiṃsamicchati.
犬が他の犬を見ると、害そうとして牙を剥く。悪人が他の悪人を見ると、怒りを露わにして害することを望む。
138.
138.
Maṇḍūkopinukkosīho[Pg.49], sukaropinukkodīpi;
Bilārosadisobyaggho, duppaññopinapaññavā.
鳴き声を上げたとしても、蛙は獅子ではなく、豚は豹ではない。猫は虎に似ることはなく、愚かな者は智者ではない。
139.
139.
Maṇḍūkopisīhoviya,Kākogaṇhepiññepiññe;
Bālocapaṇḍitoviya,Dhīropucchevayevaye.
蛙も獅子の振る舞いをし、鴉も(捕らえられるまでは)鳴き声を上げる。愚者もまた賢者のように振る舞うが、それは賢者に問い詰められるまでのことである。
140.
140.
Kākoduṭṭhosakuṇesu, ghareduṭṭhocamūsiko;
Vānarocavaneduṭṭho, manussesucabrahmaṇo.
鳥の中では鴉が悪であり、家の中では鼠が悪である。森の中では猿が悪であり、人間の中では(偽の)バラモンが悪である。
141.
141.
Tiṇānibhūmicodakaṃ[Pg.50], catutthaṃvākyasuṭṭhutaṃ;
Etānihisataṃgehe, nochijjantekadācipi.
敷物の草、場所、水、そして四つ目には快い言葉。これらは、善人の家において決して絶えることがない。
142.
142.
Ambuṃpivantinonajjo, rukkhākhādantinophalaṃ;
Meghokadācinosassaṃ, paratthāyasataṃdhanaṃ.
川は自らの水を飲まず、樹木は自らの実を食べない。雲が自ら穀物を食べることもない。善人の富は、他人の利益のためにある。
143.
143.
Guṇākubbantidūtattaṃ[Pg.51], dūrepivasataṃsataṃ;
Keṭakegandhamāghāya, gacchantibhamarāsayaṃ.
徳は、遠くに住む善人のための使者の役割を果たす。ケータカの花の香りを嗅いで、蜂が自らそこへ行くように。
144.
144.
Ākiṇṇopiasabbhīdha, asaṃsaṭṭhovabhaddako;
Bahunāsannajātena, gacche naummattakena.
たとえこの世で悪人に囲まれていても、それらと交わらないことが幸いである。近くにいる多くの狂人たちと共に歩んではならない。
145.
145.
Pāpamittevivajjetvā, bhajeyyuttamapuggalaṃ;
Ovādecassatiṭṭheyya, patthantoacalaṃsukhaṃ.
悪き友を避けて、最上の人と交わるべきである。揺るぎない幸福を望むなら、その教えを固く守るべきである。
146.
146.
Yathācapanasāpakkā, bahisaṇḍakamevaca;
Antoamatapūraṇo, evaṃ sujanadhammatā.
熟したジャックフルーツが、外側は棘だらけであっても、内側は甘い蜜で満たされているように、善人の性質もまたそのようである。
147.
147.
Taggarañjapalāsena[Pg.52], yonaroupanayhati;
Pattāpigandhaṃvāyanti, evaṃdhīrupasevanā.
タガラ香をパラシャの葉で包むなら、その葉までもが芳香を放つようになる。賢者に親近することも、これと同じである。
148.
148.
Dhīraṃpassesuṇedhīraṃ, dhīrenasahasaṃvase;
Dhīrenālāpasallāpaṃ, taṃkaretañcarocaye.
賢者を見なさい、賢者の言葉を聞きなさい、賢者と共に住みなさい。賢者と語り合い、それを好み、喜びなさい。
149.
149.
Nayaṃnayati medhāvī, adhurāyanayujjati;
Sunayoseyyasohoti, sammāvuttonakuppati;
Vinayaṃsopajānāti, sādhutenasamāgamo.
賢者は道理を導き、不義には関与しません。正しく導かれれば優れた者となり、正しく諭されても怒ることはありません。彼は規律をわきまえており、善人との交わりは有益です。
150.
150.
Appakenapiceviññū[Pg.53], paṇḍitaṃpayirūpāsi;
Khippaṃdhammaṃvijānāti, jivhāsūparasaṃyathā.
賢明な人が、たとえ短期間であっても智者に仕えるならば、舌がスープの味を知るように、速やかに法を悟ります。
151.
151.
Bāhubalañcaamaccaṃ, bhogaṃabhijaccaṃbalaṃ;
Imehicatubalehi, paññāveseṭhataṃbalaṃ.
腕力、臣下の力、財力、門閥の力、これら四つの力の中でも、智慧の力こそが最高です。
152.
152.
Balaṃpakkhīnamākāso[Pg.54], macchānaṃudakaṃbalaṃ;
Dubbalassabalaṃrājā, kumārānaṃrudaṃbalaṃ.
鳥の力は大空であり、魚の力は水です。弱き者の力は王であり、子供たちの力は泣くことです。
153.
153.
Balaṃcandobalaṃsūro, balaṃsamaṇabrahmaṇā;
Balaṃvelaṃsamuddassa, balaṃtibalamitthiyā.
月には力があり、太陽には力があります。沙門やバラモンには力があり、海には海岸という力があります。そして女の力は三つの力(涙・美貌・愛嬌)です。
154.
154.
Sapādānaṃbalaṃsīho, tatopuḷuvakobalaṃ;
Tatokippilikonaro, rājāsabbesamantato.
獅子の力はその足にあり、蛆虫にも力があり、蟻にも力があります。人は王の力にあり、それはあらゆるところに及びます。
155.
155.
Gatimigānaṃpavanaṃ, ākāsopakkhinaṃgati;
Virāgogatidhammānaṃ, nibbānārahataṃgati.
鹿の行く先は森であり、鳥の行く先は大空です。諸法の行く先は離欲であり、阿羅漢の行く先は涅槃です。
156.
156.
Careyyakulajaṃpañño[Pg.55], virūpamavikaññakaṃ;
Hīnāyapisurūpāya, vivāhasadisaṃkare.
賢者は家柄の良い娘であれば、たとえ不器量であっても娶るべきです。たとえ身分が低くても容姿が端麗であれば、自分にふさわしい結婚をすべきです。
157.
157.
Sāmāmigakkhīsukesī, tanumajjhimadantavā;
Dassanīyāmukhavaṇṇā, gambhīranābhivācakā;
Susīlāvāyamatica, hīnakulaṃpivāhaye.
褐色の肌、鹿のような目、美しい髪、細い腰、整った歯、美しい顔色、深いへそ、穏やかな語り口、そして徳高く智慧があるならば、たとえ卑しい家柄の者であっても娶るべきです。
158.
158.
Suttomātāvabhojesi[Pg.56], bharaṇesucadhātiyo;
Kammesusakapanti ca, katakammesudhātinaṃ.
母のように食事を与え、乳母のように世話をし、自分の使用人のように立ち働き、仕事においても乳母のように献身的である。
159.
159.
Dhammesupatiṭṭhāniccaṃ, sayanesucavaṇṇibhā;
Kulesubhātaraṃvācī, yānārīseṭṭhasammatā.
常に法に立脚し、寝所では美しく、親族の間では姉妹のように穏やかに語る女、そのような女こそが最上であると見なされます。
160.
160.
Yonaṃbharatisabbadā[Pg.57], niccaṃātāpiussuko;
Sabbakāmaharaṃposaṃ, bhattāraṃnātimaññati.
常に自分を養い、熱心に尽くしてくれる夫、あらゆる望みを叶えてくれるその夫を、女は決して軽んじてはなりません。
161.
161.
Nacāpisvatthibhattāraṃ, icchācārenarosaye;
Bhattucagarunosabbe, patipūjetipaṇḍitā.
賢い女は、自分のわがままで夫を怒らせてはなりません。夫が敬うすべての人々を、彼女もまた共に敬うべきです。
162.
162.
Uṭṭhāhikāanalassā, saṅgāhikāparijane;
Bhattumanāpaṃcarati, sambhatamanurakkhati.
彼女は勤勉で怠らず、周囲の人々を慈しみ、夫の心にかなうように振る舞い、蓄えられた財をよく守ります。
163.
163.
Evaṃvattatiyānārī, bhattuchandavasānugā;
Manāpānāmatedevā, yatthasāupapajjati.
このように夫の意に従って行動する女は、死後に生まれ変わる場所で、歓喜天(愛される者)という名の神々の中に加わります。
164.
164.
Itthiyekacciyovāpi[Pg.58], seyyāvuttāvamuninā;
Bhaṇḍānaṃuttamāitthī, aggupaṭṭhāyikātipi.
女の中にも優れた者がいると聖者は説かれました。女は最高の所有物であり、最高の奉仕者でもあります。
165.
165.
Mātarādhītarāvāpi, bhaginiyāvicakkhaṇo;
Navivittāsanemante, nārīmāyāvinīnanu.
賢明な者は、母であれ、娘であれ、姉妹であれ、女と二人きりで座ってはなりません。女は実に惑わすものだからです。
166.
166.
Vijjutānañcalolattaṃ, satthānañcātitikkhaṇaṃ;
Siṅghataṃvāyutejānaṃ, anukubbantināriyo.
稲妻の移ろいやすさ、武器の鋭さ、風や火の激しさ、女たちはこれらを模倣しているのです。
167.
167.
Diguṇothīnamāhāro[Pg.59],Buddhicāpicatugguṇo;
Chaguṇohotivāyāmo,Kāmotvaṭṭhaguṇobhave.
女の食事は二倍、智慧は四倍、策謀は六倍、情欲は八倍であると言われます。
168.
168.
Ekamekāyaitthiyā, aṭṭhaaṭṭhapatinosiyuṃ;
Sūrocapalavantoca, sabbakāmarasāharā;
Kareyyanavamechandaṃ, unnattāhinapūrati.
たとえ一人の女に、勇敢で力強く、あらゆる望みを叶えてくれる八人の夫がいたとしても、彼女は九人目の男に心を寄せるでしょう。女の慢心は満たされることがありません。
169.
169.
Vivādasīlīussuyā[Pg.60], passantataṇhikāgatā;
Amitābhuñjanāniddā, sataṃputtaṃpitaṃjahe.
争い好きで嫉妬深く、他人のものを欲しがり、大食いで眠り呆ける女は、たとえ百人の息子がいても夫を捨てるでしょう。
170.
170.
Lapantīsaddhimaññena, passantaññaṃsavibbhamā;
Cittakaṃcintayantaññaṃ, nārīnaṃnāmakopiyo.
他の男と語らい、情欲のまなざしで他の男を見つめ、心の中で別の男を想う。女たちの本性は、誰にとっても忌むべきものです。
171.
171.
Gaṇheyyavātaṃjālena, sāgaramekapāṇinā;
Osiñceyyacatāḷena, sakenajanayeravaṃ;
Pamādāsuvisajjeyya, itthiyesāvadhammatā.
網で風を捕らえようとし、片手で海を干そうとし、自分の手で叩いて音を出そうとするようなものです。女を信じることは不可能であり、それが女の本性です。
172.
172.
Jivhāsahassikoyohi[Pg.61], jīvevassasataṃnaro;
Tenanikammunāvutto, thidosokiṃkhayaṃgato.
たとえ千の舌を持つ男が百年の間生きたとしても、女の過ちを語り尽くすことはできないでしょう。
173.
173.
Pañcaṭhānānisampassaṃ[Pg.62], puttamicchantipaṇḍitā;
Bhatovānobharissati, kiccaṃvānokarissati.
賢者は五つの理由を考えて息子を望みます。養われたなら私を養うだろう、私のなすべき仕事をしてくれるだろう。
174.
174.
Kulavaṃsociraṃtiṭṭhe, dāyajjaṃpatipajjati;
Athavāpanapetānaṃ, dakkhiṇānupadassati.
家系が長く続くように、相続を受け継ぐように、あるいは亡くなった親族のために供養を捧げるように。
175.
175.
Atijātamanujātaṃ, puttamicchantipaṇḍitā;
Avajātaṃnaicchanti, yohotikulachinnako.
賢者は自分より優れた息子、あるいは自分に似た息子を望みます。家系を絶やすような、劣った息子は望みません。
176.
176.
Ekūdarasamuppannā, nabhavantisamassamā;
Nānāvaṇṇānānācarā, yathābadarakaṇḍakā.
同じ腹から生まれた兄弟であっても、一様ではありません。棗の棘のように、容姿も様々、行いも様々です。
177.
177.
Adammebahavodose[Pg.63], dammetubahavoguṇe;
Tasmāputtañcasissañca, dammakālevadammaye.
躾けられていない者には多くの欠点があり、躾けられた者には多くの徳があります。それゆえ、息子や弟子は、躾けるべき時に躾けなさい。
178.
178.
Ovādeyyānusāseyya,Asappāyānivāraye;
Dantohiyopiyohoti,Adantohotiappiyo.
教誡し、教え導き、不適切なことから遠ざけなさい。躾けられた者は愛されますが、躾けられていない者は嫌われます。
179.
179.
Puttaṃvābhātaraṃduṭṭhaṃ, anusāseyyanojahe;
Kiṃnuchejjaṃhatthapādaṃ, littaasucināsiyā.
息子や兄弟が悪をなしても、訓戒すべきであり、見捨てるべきではない。不浄なものが付着したからといって、どうして自分の手足を切り落としたりしようか。
180.
180.
Antojātodhanakkito[Pg.64], dāsabyopagatosayaṃ;
Dāsākaramarānito, iccevaṃcatudhāsiyuṃ.
家に生まれた者、金銭で買われた者、自ら奴隷となった者、捕虜として連れてこられた者。このように奴隷には四種類がある。
181.
181.
Dāsāpañcevacorayya, sakhañātattasadisā;
Tathāviññūhiviññeyya, mittādārācabandhavā.
尊者よ、奴隷には五種がある。友、親族、自分自身に似た者たちである。同様に、友、妻、親族もまた、賢者によってそのように理解されるべきである。
182.
182.
Duṭṭhadārenaamityā[Pg.65], dāsocuttaravācako;
Sasappecagharevāso, maccumevanasaṃsayo.
悪しき妻、敵、口答えをする奴隷、そして蛇のいる家に住むこと。これらは死そのものであり、疑いようがない。
183.
183.
Yasaṃlābhaṃpatthayantaṃ, naraṃvajjantidūrato;
Tasmāanapekkhitvāna, taṃmaggaṃmaggayebudho.
名声や利益を熱望する者を、人々は遠くから避ける。ゆえに、賢者はそれらを顧みることなく、その道を求めるべきである。
184.
184.
Khalaṃsālaṃpasuṃkhettaṃ[Pg.66], gantācassaabhikkhaṇaṃ;
Mitaṃdhaññaṃnidhāpeyya, mitañcapācayeghare.
脱穀場、広間、家畜、田畑には、頻繁に行くべきである。また、一定量の穀物を蓄え、家では一定量を調理させるべきである。
185.
185.
Añjanānaṃkhayaṃdisvā, vammikānañcasañcayaṃ;
Madhūnañcasamāhāraṃ, paṇḍitogharamāvase.
塗料の摩耗、蟻塚の蓄積、蜜の集積を見て、賢者は家庭生活を営むべきである。
186.
186.
Sayaṃāyaṃvayaṃjaññā, sayaṃjaññākatākataṃ;
Niggaṇheniggaṇhārahaṃ, paggaṇhepaggaṇhārahaṃ.
自ら収入と支出を知り、自らなされたこととなされなかったことを知るべきである。懲らしめるべき者は懲らしめ、褒めるべき者は褒めるべきである。
187.
187.
Ekayāmonarādhippo[Pg.67],Dviyāmopaṇḍitonaro;
Tayoyāmogharāvāsoca,Catuyāmocaduggato.
王の一夜は一更、賢者の一夜は二更、家主の一夜は三更、そして貧窮者は四更である。
188.
188.
Yocabandhuhiteyutto,Sopitāyocaposako;
Taṃmittaṃyatthavisāso,Bhariyāyatthanibbuti.
利益のために尽くしてくれる者が親族であり、養ってくれる者が父である。信頼がおける者が友であり、安らぎを与えてくれる者が妻である。
189.
189.
Saddhāpemesusantesu, nagaṇemāsakaṃsataṃ;
Saddhāpemeasantesu, māsakaṃpisataṃgaṇe.
信頼と愛情があるときは、百の貨幣も数えない。信頼と愛情がないときは、たとえ一銭であっても百回数えるものである。
190.
190.
Yācakoapiyohoti[Pg.68], yācaṃadadamappiyaṃ;
Tasmāseṭṭhanaroloke, dhanaṃsippaṃpariggahe.
物を乞う者は好まれず、請われて与えない者もまた好まれない。それゆえ、この世の優れた人は、富と技能を身につけるべきである。
191.
191.
Sabbadāpidhanaṃrakkhe, dāraṃrakkhedhanaṃpica;
Dāraṃdhanañcaattānaṃ, rakkhāyevasadābhave.
常に富を守るべきであり、富をもって妻をも守るべきである。しかし、妻や富をなげうっても、常に自分自身を守るべきである。
192.
192.
Nasādhāraṇadārassa, nabhuñjesādumekako;
Nasevelokāyatikaṃ, netaṃpaññāyavaḍḍhanaṃ.
妻を他人と共有してはならず、美味なものを一人で食べてはならない。世俗の議論に従ってはならない。それは知恵を増進させるものではないからである。
193.
193.
Sīlavāvattasampanno[Pg.69], appamattovicakkhaṇo;
Nivātavuttiathaddho, sūratosakhilomudu.
戒律を守り、義務を果たし、不放逸で、洞察力がある。謙虚で、傲慢にならず、穏やかで、親しみやすく、柔軟であるべきである。
194.
194.
Saṅgahetāvamittānaṃ, saṃvibhāgīvijānavā;
Tappeyyaannapānena, sadāsamaṇabrahmaṇā.
友人を助け、分かち合い、良識がある。常に飲食物をもって、沙門やバラモンを満足させるべきである。
195.
195.
Dhammakāmosutaddharo, bhaveyyaparipucchāko;
Sakkaccaṃpayirūpāse, sīlavantebahussute.
法を愛し、聞いたことを保持し、問い尋ねる者であるべきである。徳が高く、博識な人々に、恭しく仕えるべきである。
196.
196.
Pubbasirosimedhāvī[Pg.70], dīghāyudakkhiṇaṃsiro;
Pacchimocittasantosi, maraṇaṃuttarobhave.
頭を東に向けて寝れば賢くなり、南に向ければ長寿となり、西に向ければ心が充足し、北に向ければ死を招く。
197.
197.
Āyumāpācinaṃmūkhaṃ, dhanavādakkhiṇaṃbhave;
Pacchimaṃyasasībhuñje, nobhuñjeuttaraṃmukhaṃ;
東を向いて食べれば長寿となり、南を向けば富を得、西を向けば名声を得る。北を向いて食べてはならない。
198.
198.
Bhutvānisīdanaṃthūlaṃ, tiṭṭhantobalavaḍḍhano;
Āyumācaṅkamosiyā, dhāvantorogavajjito.
食後に座り続けるのは肥満を招き、立っているのは体力を増進させる。歩行(経行)は長寿をもたらし、走ることは病を遠ざける。
199.
199.
Yocasitañcauṇhañca[Pg.71], tiṇābhiyyonamaññati;
Karaṃpurisakiccāni, sosukhānavihāyati.
寒さや暑さを草の葉ほどにも気に留めず、人のなすべき務めを果たす者は、幸福から離れることがない。
200.
200.
Visamhāmatamādeyya, asuddhamhāpikañcanaṃ;
Nīcamhāpyuttamovijjaṃ, ratanathiṃpidukkulā.
毒からでも甘露を取り、不浄なものからでも黄金を取り、卑しい者からでも至高の知識を取り、卑しい家柄からでも珠玉のような女性を娶るべきである。
201.
201.
Guyhamatthamasambuddhaṃ, sambodhayatiyonaro;
Mantabhedabhayātassa, dāsabhūtotitikkhati.
知られてはならない秘密を漏らしてしまう人は、その秘密の漏洩を恐れて、奴隷のように忍従することになる。
202.
202.
Aññātavāsavasatā, jātavedasamenapi;
Khamitabbaṃsapaññena, apidāsassatajjitaṃ.
素性を隠して住む間は、たとえ火のように強力であっても、賢者は奴隷からの侮辱さえも耐え忍ぶべきである。
203.
203.
Dhanadhaññapayogesu[Pg.72], tathāvijjāgamesuca;
Dūtecabyāhāresu, cattolajjaṃsadābhave.
富や穀物の取引、知識の習得、使者の務めや言葉遣いにおいて、常に恥じらいを捨てるべきである。
204.
204.
Nahikocikatekicce, kattāraṃsamapekkhate;
Tasmāsabbānikammāni, sāvasesānikāraye.
用事が済んでしまえば、誰もその功労者を顧みることはない。ゆえに、すべての仕事は少しやり残しておくべきである。
205.
205.
Upakāraṃhiteneva, sattunāsattumuddhare;
Pādalaggaṃkaraṭṭhena, kaṇḍakenevakaṇḍakaṃ.
足に刺さった棘を手に持った別の棘で抜くように、利益をもたらす敵を用いて別の敵を除去すべきである。
206.
206.
Namenamantassabhajebhajantaṃ[Pg.73],Kiccānikubbassakareyyakiccaṃ;
Nānatthakāmassakareyyaatthaṃ,Asambhajantaṃpinasambhajeyya.
敬う者には敬い、親しむ者には親しむべきである。尽くしてくれる者には尽くすべきである。利益を望まない者のために利益を計ってはならず、親しまない者には親しんではならない。
207.
207.
Vajecajantisinehākiriyā,Apemacittena nasambhajeyya;
Dijovadumaṃkhiṇaphalaṃñatvā,Aññaṃapekkheyyamahāhiloko.
愛情と誠意を捨てた者からは去るべきであり、愛のない心を持つ者と親しんではならない。鳥が実の尽きた木を知って別の木を求めるように。世界は広いのだから。
208.
208.
Cajeekaṃkulassatthaṃ, gāmassatthaṃkulaṃcaje,Gāmaṃjanapadassatthaṃ, attatthaṃpathaviṃcaje.
一族のために一人を捨て、村のために一族を捨て、国のために村を捨て、自己のために大地を捨てるべきである。
209.
209.
Dhanaṃcajeaṅgaṃvarassahetu[Pg.74],Aṅgaṃcajejīvitaṃrakkhamāno;
Dhanaṃaṅgaṃjīvitañcāpisabbaṃ,Cajenarodhammamanussaranto.
優れた肢体のために富を捨て、肢体を守るために命を捨てよ。正法を思い起こす人は、富も肢体も命も、そのすべてを捨てるべきである。
210.
210.
Ahāgacchantihāyantā, sattānamihajīvitaṃ;
Tasmāhimāpamattataṃ, gacchantujinasāsane.
日々は過ぎ去り、この世の生きとし生けるものの命は衰えていく。それゆえ、勝者の教えにおいて、決して怠慢に陥ってはならない。
211.
211.
Etesiyyosamāyanti[Pg.75], santitesaṃnajīrati;
Yoadhippannaṃsahati, yocajānātidesanaṃ.
これらが集まるとき、彼らの静寂は衰えることがない。圧倒する力に耐え、教えを知る者にとって(安らぎがある)。
212.
212.
Aggiāpoitthīmuḷho, sapporājakulānica;
Payatanovagantabbo, maccupāṇaharāniti.
火、水、女、愚者、蛇、そして王族。これらは命を奪うものであるから、慎重に近づくべきである。
213.
213.
Satthaṃsunicchitamapītivicintanīyaṃ,Sārādhitopyavanipoparisaṅkanīyo;
Hatthaṅgatāpiyuvatīparirakkhanīyā,Satthāvanīpayuvatīsukutovasītaṃ.
十分に決した学問であっても再考すべきであり、よく仕えた王であっても疑いを持つべきである。手中に収めた若き妻であっても守るべきである。学問、王、若き妻をどうして完全に支配できようか。
214.
214.
Ussāhoripuvamittaṃ[Pg.76], alasomittaṃvaripu,Visaṃviyāmataṃvijjā, pamādoamataṃvisaṃ.
努力は敵の中にある友であり、怠惰は友の中にある敵である。知識は(正しく使わねば)毒のような不死の薬であり、放逸は不死の薬に対する毒である。
215.
215.
Vaheamittaṃkhandhena, yāvakāleanāgate;
Tamevaāgatekāle, bhindekumbhaṃvasilāyaṃ.
時が来るまでは、敵を肩に担いで運べ。しかし、その時が来たならば、石の上で水瓶を割るように(敵を)打ち砕け。
216.
216.
Siṅgiṃpaññāsahatthena[Pg.77], satenavāhanaṃcaje;
Hatthīnantusahassena, desacajjenadujjanaṃ.
角のある動物は五十肘(ハッタ)離れて避け、馬は百肘離れて避け、象は千肘離れて避けよ。悪人は、その土地を去ることで避けよ。
217.
217.
Paccakkhegaravosaṃse, parokkhemittabandhave;
Kammantecadāsabhacce, puttadāresaṃsemate.
目の前では師を称え、目の届かぬところでは友や親族を称えよ。召使や従者は仕事が終わったときに称え、妻子は(人生の)終わりに称えよ。
218.
218.
Sinesippaṃsinedhanaṃ, sinepabbatamāruhe;
Sinekāmocakodhoca, imepañcasinesine.
技術を習得するのも、富を蓄えるのも、山を登るのも、ゆっくりと行え。欲愛と怒りもまた(鎮めるのは)ゆっくりである。これら五つのことは、徐々に行うべきである。
219.
219.
Sataṃcakkhusataṃkaṇṇā[Pg.78], nāyakassasutosadā;
Tathāpiandhabadhiro, esānāyakadhammatā.
指導者には常に百の目と百の耳があると言われる。それにもかかわらず、盲目であり聾者であるかのよう(に振る舞うこと)、それが指導者のあり方である。
220.
220.
Bahūnaṃappasārānaṃ, sāmaggiyātidujjayo;
Tiṇenavaṭṭaterajju, tenanāgopibandhate.
価値の乏しい多くのものが集まっても、一致協力すれば打ち勝つのは非常に困難である。草で編まれた縄によって、象でさえも縛られるのである。
221.
221.
Uppajjatesacekodho, āvajjekakacūpamaṃ;
Uppajjaterasetaṇhā, puttamaṃsūpamaṃsare.
もし怒りが生じたならば、“鋸のたとえ”を思い起こせ。もし味への渇愛が生じたならば、“息子の肉のたとえ”を念ぜよ。
222.
222.
Dānaṃsinehabhesajjaṃ, maccheraṃdosanosadhaṃ;
Dānaṃyasassibhesajjaṃ, maccheraṃkappanosadhaṃ.
布施は愛着に対する薬であり、物惜しみは過失に対する薬ではない。布施は名声のための薬であり、物惜しみは災厄に対する薬ではない。
223.
223.
Dhanamicchevaṇijjeyya[Pg.79], sippamicchebahussute;
Puttamicchenārikaññe, rājāmaccaṃicchāgate.
富を望むなら商売をせよ。技術を望むなら博識な者に問え。息子を望むなら若い娘(を妻に)せよ。王は(自ら)赴く大臣を望む。
224.
224.
Mahantaṃvaṭṭarukkhādiṃ, khuddabījaṃbahupphalaṃ;
Sakkhiṃkatvāudikkheyya, puññapāpaṃkaronaro.
巨大なベンガル菩提樹なども、小さな種から多くの実を結ぶ。それを証として、人は功徳や悪業を積むべきである。
225.
225.
Garukātabbaposesu, nīcavuttiṃkarotiyo;
Nīcattaṃsopahantvāna, uttamatthepatiṭṭhati.
尊敬すべき人々に対して謙虚に振る舞う者は、卑しさを打ち破って、最高の境地に立つ。
226.
226.
Uttamaṃpaṇipātena[Pg.80], sūraṃbhedenavijaye;
Hīnamappapadānena, vikkamenasamaṃjaye.
優れた者には礼拝をもって、勇者には離間をもって勝利せよ。卑しい者には僅かな施しをもって、対等な者には勇猛さをもって勝利せよ。
227.
227.
Nattadosaṃparejaññā, jaññādosaṃparassatu;
Kummoguyhāivaṅgāni, parabhāvañcalakkhaye.
自分の過失を他人に知られてはならないが、他人の過失は知っておくべきである。亀がその手足を隠すように(自らを護り)、他人の有様を観察せよ。
228.
228.
Ussūraseyyaṃālasyaṃ[Pg.81], caṇḍikkaṃdīghasuttiyaṃ;
Ekassaddhānagamanaṃ, paradārupasevanaṃ;
Etaṃbrahmaṇassevassu, anatthāyabhavissati.
日が昇るまで眠ること、怠惰、狂暴さ、物事を引き延ばすこと、一人での旅、他人の妻と交わること。これらは、いかなる人にとっても不利益をもたらすだろう。
229.
229.
Surāyogovikāloca, samajjānagharaṅgato;
Khiḍḍadhuttopāpamitto, alasosoimejanā;
Mahābhogāvinassanti, hīnabhāvassidaṃphalaṃ.
酒への耽溺、不適切な時間(の外出)、祭事への出入り、博打、悪友、そして怠惰。これらによって、莫大な富は失われる。これが卑しき状態(に陥ること)の結果である。
230.
230.
Atisītaṃatiuṇhaṃ, atisāyamidaṃahu;
Itivissaṭṭhakammante, khaṇāaccantimāṇave.
“寒すぎる”“暑すぎる”“もう遅すぎる”と言って、仕事を放り出す若者は、好機を逃してしまう。
231.
231.
Paranāsanatonaṭṭho[Pg.82], purevaparanāsako;
Siṅghaṃvaānasaṃyāti, tiṇopāsādajhāpako.
他人を滅ぼそうとして自ら滅びる者は、他人を滅ぼす前に(自ら)滅んでいる。それは、草の御殿を焼く者が、自らも速やかに焼かれるようなものである。
232.
232.
Navisāseamittassa, mittañcāpinavisāse;
Kadācikuppitomitto, sabbadosapakāsako.
敵を信頼してはならない。また、友であっても信頼しすぎてはならない。もし友が怒ったならば、あらゆる秘密を暴露してしまうからである。
233.
233.
Kudesañcakumittañca, kusambandhaṃkubandhavaṃ;
Kudārañcakurājānaṃ, dūratoparivajjaye.
悪い土地、悪い友、悪い縁故、悪い親族、悪い妻、そして悪い王を、遠くから避けなさい。
234.
234.
Kakkaṭoasīsoyāti[Pg.83], sabbāpadovagacchati;
Athanīkukkuṭīputtā, purisenāvamaññare.
蟹は頭がないまま進み、あらゆる災難を免れる。しかし、卑しい雌鶏の子(のような卑賤な者)は、人々に軽蔑される。
235.
235.
Hīnaputtorājāmacco, bālaputtopipaṇḍito;
Adhanassaputtoseṭṭhi, purisenāvamaññare.
卑しい者の子が王の大臣となり、愚かな者の子が賢者となり、貧しい者の子が豪商となることもある。(それゆえ)人は人を軽蔑してはならない。
236.
236.
Yenamicchatisambandhaṃ, tenatīṇinakāraye;
Vivādamatthasambandhaṃ, parokkhedāradassanaṃ.
関係を維持したいと望む相手とは、次の三つのことをしてはならない。争い、金銭の貸し借り、そして(相手の)不在のときにその妻に会うことである。
237.
237.
Iṇasesoaggiseso[Pg.84],Satrusesotathevaca;
Punappunampivaḍḍhanti,Tasmāsesaṃnakāraye.
借金の残り、火の残り、そして敵の残り。これらは再び増大するものである。それゆえ、残りを残してはならない。
238.
238.
Kulajātokulaputto, kulavaṃsasurakkhito;
Attanādukkhapattopi, hīnakammaṃnakāraye.
名門に生まれ、家系をよく守る良家の息子は、たとえ自ら苦境に陥ったとしても、卑しい行いをしてはならない。
239.
239.
Samiddhodhanadhaññena, nakaṭṭhodatiṇaggihi;
Sabbatoduggatonaṭṭho, tasmānadukkaṭaṃkare.
薪、水、草、火が十分に揃っていても、あらゆる災難によって滅びる。それゆえ、悪事を行ってはならない。
240.
240.
Nagaṇassaggathogacche[Pg.85], siddhekammesamaṃphalaṃ;
Kammavippatticehoti, pharusaṃtassabhāsaye.
集団の先頭を行くべきではない。事が成就すれば利益は平等だが、失敗すれば彼(先頭の者)に厳しい言葉が投げかけられる。
241.
241.
Bālakkopetadhūmoca, vuḍḍhitthipallalodakaṃ;
Āyukkhayakaraṃniccaṃ, rattocadadhibhojanaṃ.
朝日、籾殻の煙、老女、水たまりの水、そして夜の凝乳(ヨーグルト)の食事は、常に寿命を縮めるものである。
242.
242.
Itthīnaṃdujjanānañca, visāsonopapajjate;
Visesigimhinadiyaṃ, rogerājakulamhica.
女、悪人、夏の河、病、そして王族は、信用に値しない。
243.
243.
Ayuttakammārabhanaṃvirodho[Pg.86],Saṅghassayuddhañcamahābalehi;
Visāsakammaṃpamadāsuniccaṃ,Dvārānimaccussavadantividvā.
不適切な仕事への着手、対立、強大な勢力との戦い、女への過信、そして絶えざる放逸。賢者はこれらを“死の門”と呼ぶ。
244.
244.
Thiyoseveyyanaccantaṃ, sādubhuñjeyyanāhitaṃ;
Pūjayemānayevuḍḍhe, garuṃmāyāyanobhaje.
女に過度に仕えてはならない。美味なものを不当に食べてはならない。年長者を供養し敬うべきである。欺瞞をもって師(ガル)に近づいてはならない。
245.
245.
Vināsatthaṃnagaccheyya, sūrosaṅgāmabhūmiyaṃ;
Paṇḍitvaddhagūvāṇijjo, videsagamanotathā.
武器を持たずに、勇者が戦場へ行くべきではない。賢者、旅人、商人の外国への旅も同様である。
246.
246.
Dehītivacanadvārā[Pg.87], dehaṭṭhāpañcadevatā;
Sajjaniyyantidhikitti, matihīrisirīpica.
“与えよ”という言葉の門から、体に宿る五つの神が立ち去る。名声、徳、知恵、羞恥、そして幸運である。
247.
247.
Natthītivacanaṃdukkhaṃ, dehītivacanaṃtathā;
Vākyanatthītidehīti, mābhaveyyabhavābhave.
“無い”という言葉は苦しみであり、“与えよ”という言葉も同様である。“無い”“与えよ”という言葉が、輪廻の生涯において現れませんように。
248.
248.
Yatthavosaṃnajānanti, jātiyāvinayenavā;
Natatthamānaṃkiriyā, janevasamaññātake.
生まれや行儀を知られない場所では、見知らぬ人々の中で、慢心や活動をすべきではない。
249.
249.
Mātāhīnassadubbhāsā[Pg.88], pitāhīnassadukriyā;
Ubhomātāpitāhīnā, dubbhāsācadukkiriyā.
卑しい者の母は言葉が汚く、父は行いが悪い。父母ともに卑しければ、言葉も汚く行いも悪い。
250.
250.
Mātāseṭṭhassasubhāsā,Pitāseṭṭhassasukiriyā;
Ubhomātāpitāseṭṭhā,Subhāsācasukiriyā.
優れた者の母は言葉が美しく、父は行いが良い。父母ともに優れていれば、言葉も美しく行いも良い。
251.
251.
Atidīghomahāmuḷho[Pg.89], majjhimocavicakkhaṇo;
Vāsudevaṃpurekkhitvā, sabbevāmanakāsaṭhā.
非常に背が高い者は非常に愚かであり、中背の者は賢明である。ヴァースデーヴァ(クリシュナ)を筆頭に、小人は皆、狡猾である。
252.
252.
Ācārokulamakkhāti, desamakkhatibhāsitaṃ;
Sambhavopemamakkhāti, dehamakkhātibhojanaṃ.
行儀は家柄を語り、言葉遣いは出身地を語る。親愛は出自を語り、肉体は食事(の質)を語る。
253.
253.
Jalappamāṇaṃkumudanāḷaṃ,Kulappamāṇaṃkaraṇakammaṃ;
Paññāpamāṇaṃkathitavākyaṃ,Bhūmippamāṇaṃbhajjalatiṇaṃ.
蓮の茎は水の深さを測り、振る舞いは家柄を測る。語られた言葉は知恵を測り、焼けた草は土地を測る。
254.
254.
Javenabhadraṃjānanti[Pg.90], vahenacabalibaddhaṃ;
Duhenadhenujānanti, bhāsamānenapaṇḍitaṃ.
速さによって良馬を知り、重荷を運ぶことで雄牛を知る。乳を搾ることで乳牛を知り、語る言葉によって賢者を知る。
255.
255.
Jāneyyapesanebhaccaṃ bandhavaṃpibhayāgame,Byasanecatathāmittaṃ, dārañcavibhavakkhaye.
用事で使いに出した時に従者を知り、危難の時に親族を知る。不幸な時に友を知り、財産が尽きた時に妻を知る。
256.
256.
Vināsatthaṃnajānanti, kālaṃsabbepijotikā;
Kukkuṭāpanajānanti, tatorukkhātatobhvāpā.
武器(道具)がなくても、鶏は時を知る。また、木々も地平線も時を知る。
257.
257.
Pathavībhūsanaṃmeru[Pg.91], rattiyābhūsanaṃsasī;
Janānaṃbhūsanaṃrājā, senānaṃbhūsanaṃgajo.
大地の飾りは須弥山であり、夜の飾りは月である。人々の飾りは王であり、軍勢の飾りは象である。
258.
258.
Sīlatāsobhaterūpaṃ,Cāritāsobhatekulaṃ;
Sapupphāsobhateraññaṃ,Sagajāsobhatebalaṃ.
徳(戒)は容姿を輝かせ、行儀は家柄を輝かせる。花は森を輝かせ、象は軍勢を輝かせる。
259.
259.
Kokilānaṃsaddaṃrūpaṃ[Pg.92], nārīrūpaṃpatibbataṃ;
Vijjārūpaṃarūpānaṃ, khamārūpaṃtapassinaṃ.
コキラの美しさは鳴き声にあり、女の美しさは夫への貞節にある。不器量な者の美しさは知識にあり、修行者の美しさは忍耐にある。
260.
260.
Kisāsobhātapassīca,Thūlāsobhācatuppadā;
Vijjāsobhāmanussāca,Itthīsobhācasāmikā.
修行者は痩せているのが美しく、四足獣は太っているのが美しい。人間は知識があるのが美しく、女は夫がいるのが美しい。
261.
261.
Rattihīnonacandaro, ūmihīnonasāgaro;
Haṃsahīnonasaṃphullo, itthihīnonapuriso.
月のない夜はなく、波のない海はない。白鳥のいない池はなく、女のいない男はない。
262.
262.
Vatthahīnaṃnalaṅkāraṃ[Pg.93], patihīnānanārikā;
Sippahīnonapuriso, dhenuhīnaṃnabhojanaṃ.
服がなければ装飾はなく、夫がなければ女はなく、技術がなければ男はなく、牛がいなければ食事はない。
263.
263.
Dīpakedīpakocando, nārikedīpakopati;
Tilokedīpakodhammo, suputtokuladīpako.
月は夜を照らす灯火であり、夫は女を照らす灯火である。法は三界を照らす灯火であり、良き息子は一族を照らす灯火である。
264.
264.
Aputtakaṃgharaṃsuññaṃ, desaṃsuññaṃarājikaṃ;
Apaññassamukhaṃsuññaṃ, sabbasuññaṃdaliddakaṃ.
子のない家は空虚であり、王のない国は空虚である。無知な者の口は空虚であり、貧しき者にはすべてが空虚である。
265.
265.
Sotaṃsutenevanakuṇḍalena[Pg.94],Dānenapāṇīnatukaṅkaṇena;
Ābhātikāyopurisuttamassa,Paropakārenanacandanena.
耳は(法を)聞くことによって輝き、耳飾りによってではない。手は施しによって輝き、腕輪によってではない。徳高い人の体は他者への奉仕によって輝き、白檀の塗香によってではない。
266.
266.
Dānaṃsīlaṃpariccāgaṃ[Pg.95], ajjavaṃmaddavaṃtapaṃ;
Akodhaṃavihiṃsañca, khantīcaavirodhanaṃ;
Dasetedhammerājāno, appamattenadhāreyyuṃ.
布施、持戒、自己犠牲、正直、柔和、苦行、不憤怒、不殺生、忍耐、不対立。王はこれら十の法(十王法)を、怠ることなく保持すべきである。
267.
267.
Dānaṃatthacariyāpiya, vācāattasamaṃpica;
Saṅgahācaturoime, munindenapakāsitā.
布施、愛語、利行、等正。これら四つの摂事(四摂法)は、牟尼尊(ブッダ)によって説かれた。
268.
268.
Vanemigānalabhanti, matābhayāniddasukhaṃ;
Rājānopinalabhanti, uttarathāmabhītato;
Saṃsārabhayabhitena, naramantiyepaṇḍitā.
森の鹿は恐怖のために安眠を得られず、王たちもまた、より強大な力への恐れから安眠を得られない。賢明な人々は輪廻の恐怖を恐れ、法を喜ぶ。
269.
269.
Khamājāgariyuṭṭhānaṃ[Pg.96], saṃvibhāgodayikkhanā;
Nāyakassaguṇāete, icchitabbāhitatthino.
忍耐、不眠(警醒)、精勤、分かち合い、そして繁栄への洞察。これら指導者の徳は、幸福を願う者たちによって求められるべきである。
270.
270.
Paribhūtomuduhoti, atitikkhañcaveravā;
Etañcaubhayaṃñatvā, anumajjhaṃsamācare.
あまりに柔軟であれば軽んじられ、あまりに厳格であれば恨みを買う。この両者を知って、中道を行なうべきである。
271.
271.
Nekantamudunāsakkā, ekantatikhiṇenavā;
Mahatteṭṭhapituattaṃ, tasmāubhayamācare.
ひとえに柔軟であることによっても、あるいはひとえに厳格であることによっても、自己を偉大さに置くことはできない。それゆえ、両者を共に行なうべきである。
272.
272.
Kassakovāṇijomacco[Pg.97], samaṇosutasīlavā;
Tesuvipulajātesu, raṭṭhaṃpivipulaṃsiyā.
農夫、商人、大臣、そして学識と戒律を備えた沙門。これらが盛んになれば、国もまた盛んになる。
273.
273.
Tesudubbalajātesu, raṭṭhaṃpidubbalaṃsiyā;
Saraṭṭhaṃvipulaṃtasmā, dhāreyyaraṭṭhabhāravā.
これらが弱まれば、国もまた弱まる。それゆえ、国の重責を担う者は、自国を盛んに保つべきである。
274.
274.
Mahārukkhassaphalino, āmaṃchindatiyophalaṃ;
Rasañcassanajānāti, bījañcassavinassati.
実を結んだ大樹から未熟な実を摘み取る者は、その味を知ることもなく、その種をも滅ぼしてしまう。
275.
275.
Mahārukkhūpamaṃraṭṭhaṃ, adhammenapasāsati;
Rasañcassanajānāti, raṭṭhañcāpivinassati.
国は大樹に似ている。非道をもって治める者は、その利益を知ることもなく、国をも滅ぼしてしまう。
276.
276.
Mahārukkhassaphalino[Pg.98], pakkaṃchindatiyophalaṃ;
Rasañcassavijānāti, bījañcassananassati.
実を結んだ大樹から熟した実を摘み取る者は、その味を知り、その種を滅ぼすこともない。
277.
277.
Mahārukkhūpamaṃraṭṭhaṃ, dhammena yopasāsati;
Rasañcassavijānāti, raṭṭhañcāpinanassati.
国は大樹に似ている。正道をもって治める者は、その利益を知り、国を滅ぼすこともない。
278.
278.
Yocarājājanapadaṃ, adhammenapasāsati;
Sabbosadhīhisorājā, viruddhohotikhattiyo.
王が地方を非道をもって治めるなら、その刹帝利たる王は、すべての生命力(資源)と対立することになる。
279.
279.
Tathevanegamehiṃsaṃ[Pg.99], yeyuttākayavikkaye;
Ojādānabalikāre, sakosenavirujjhati.
同じように、売買に従事する町の人々を害し、過酷な徴税を行なえば、自らの財庫と対立することになる。
280.
280.
Pahāravarakhettaññū, saṅgāmekatanissame;
Ussitehiṃsayaṃrājā, sabalenavirujjhati.
戦場に精通し、戦いにおいて功績を挙げた優れた戦士たちを害すれば、王は自らの軍隊と対立することになる。
281.
281.
Tathevaisayohiṃsaṃ, saṃyamebrahmacāriyo;
Adhammacārikhattiyo, sasaggenavirujjhati.
同じように、自制し清浄な行ない(梵行)に励む聖者たちを害すれば、非道を行なう刹帝利は天界と対立することになる。
282.
282.
Sayaṃkatānaparena[Pg.100], mahānajjojuvaṅkatā;
Issarenatathāraññā, saraṭṭheadhipaccattā.
他人によるのではなく、自らによってなされたこと(業)は、大河が自ずから曲がり、あるいは直進するようなものである。そのように、王もまた自国における主権者である。
283.
283.
Puttopāpaṃkatomātā,Sissopāpaṃkatogaru;
Nāgarehikatorājā,Rājāpāpaṃpurohito.
子が罪を犯せば母の責任、弟子が罪を犯せば師の責任。市民が罪を犯せば王の責任であり、王が罪を犯せば司祭の責任である。
284.
284.
Puññāpuññaṃkarontesu, chabhāgoekadesakaṃ;
Rājālabhatisabbehi, tasmāpāpānivāraye;
Puññamevapavaḍḍhento, janakāyaṃpasāsaye.
人々が善行や悪行を行なうとき、王はその六分の一を受け取る。それゆえ王は悪を阻止すべきである。善のみを増進させ、人々を統治すべきである。
285.
285.
Bālassajīvitaṃappaṃ[Pg.101], paṇḍitassabahutaraṃ;
Janakāyassarājāva, rājadhammovarājunaṃ.
愚者の命は短く、賢者の命はより長い。人々にとっての王がそうであるように、王にとっては王法(正義)が重要である。
286.
286.
Anāyakāvinassanti, nassantibahunāyakā;
Thināyakāvinassanti, nassantisusunāyakā.
指導者なき者は滅び、指導者が多すぎる者も滅びる。女を指導者とする者は滅び、未熟な者を指導者とする者も滅びる。
287.
287.
Kacchapīnañcamacchīnaṃ, kukkuṭīnañcadhenunaṃ;
Puttaposoyathāhoti, tathāmaccesurājunaṃ.
亀、魚、鶏、そして牛がその子を育てるように、王は大臣たちを養い育てるべきである。
288.
288.
Nahirājakulaṃpatto[Pg.102], aññātolabhateyasaṃ;
Nāsūronātidummedho, napamattokudācanaṃ.
王宮に仕えていても、無名の者が名声を得ることはない。勇気なき者、極めて愚かな者、怠惰な者が名声を得ることも決してない。
289.
289.
Yadāsīlañcapaññañca[Pg.103], soceyyañcādhigacchati;
Athavisāsitotamhi, guyhañcassanarakkhati.
その者が戒律と知恵と清浄さを身につけたとき、王は彼を信頼し、秘密を隠すことはない。
290.
290.
Divāvāyadivārattiṃ, rājakiccesupaṇḍito;
Ajjhiṭṭhonavikappeyya, sarājavasatiṃvase.
昼であれ夜であれ、王務において賢明な者は、要請されたときに躊躇してはならない。そのようにして王宮に住むべきである。
291.
291.
Naraññāsamakaṃvatthaṃ, namālaṃnavilepanaṃ;
Ākappaṃsarakuttiṃvā, naraññāsadisamācare.
王と同じ衣服、花飾り、香油を用いてはならない。王と同じ身なりや声の調子を真似てはならない。
292.
292.
Kiḷerājāamaccehi[Pg.104], bhariyāparivārito;
Nāmaccorājabhariyā, bhāvaṃkubbethapaṇḍito.
王が妃たちに囲まれ、大臣たちと遊んでいるときであっても、賢明な大臣は王の妃に対して情を抱いてはならない。
293.
293.
Anuddhatoacapalo, nipakosaṃvutindriyo;
Manopaṇidhisampanno, sarājavasatiṃvase.
高ぶらず、軽はずみでなく、聡明で、諸根を制御し、正しい決意を備えた者は、王宮に住むべきである。
294.
294.
Nāssabhariyākiḷeyya, namanteyyarahogato;
Nāssakosedhanaṃgaṇhe, sarājavasatiṃvase.
王の妃と遊んではならず、密室で語り合ってはならない。王の財庫から金品を取ってはならない。そのようにして王宮に住むべきである。
295.
295.
Na [Pg.105] niddaṃbahuṃmaññeyya, namadāyasuraṃpive;
Nāsadāyemigehaññe, sarājavasatiṃvase.
眠りを貪ってはならず、酔うほどに酒を飲んではならない。王の禁猟区で獣を殺してはならない。そのようにして王宮に住むべきである。
296.
296.
Nāssapiṭṭhaṃnapallaṅkaṃ, nakocchaṃnanāvaṃrathaṃ;
Sammatomhītiāruḷhe, sarājavasatiṃvase.
“自分は重んじられている”と思って、王の腰掛け、寝台、椅子、舟、車に乗ってはならない。そのようにして王宮に住むべきである。
297.
297.
Nātidūrebhajerañño, naccāsannevicakkhaṇo;
Samukhācassatiṭṭheyya, santasantosabhattuno.
賢明な者は、王から遠すぎず、また近すぎない場所に侍るべきである。主君を敬い、その正面に立つべきである。
298.
298.
Namerājāsakhāhoti [Pg.106]6, narājāhotimethuno;
Khippaṃkujjhantirājāno, sulenakkhivaghaṭṭitaṃ.
“王は私の友である”と考えてはならず、“王は対等である”と考えてはならない。王というものは、尖った串で目を突かれたときのように、速やかに怒るものである。
299.
299.
Napūjitomaññamāno, medhāvīpaṇḍitonaro;
Pharusaṃpatimanteyya, rājānaṃparisaṃgataṃ.
賢明で智恵ある人は、敬われていないと思い込んでも、会衆の中にいる王に対して、粗野な言葉を返してはならない。
300.
300.
Laddhadvārolabhedvāraṃ, nevarājūsuvīsaye;
Aggiṃvasaṃyatotiṭṭhe, sarājavasatiṃvase.
王たちの領域において、機会を得たとしても、図に乗ってはならない。火を扱うように慎重に立ち振る舞う者こそが、王宮に住むことができる。
301.
301.
Puttaṃvābhātaraṃvāpi[Pg.107], sampaggaṇhātikhattiyo;
Gāmehinigamehivā, raṭṭhehijanapadehi;
Tuṇhibhūtovudikkheyya, nabhaṇechekapāpakaṃ.
王が息子や兄弟を、村々や町、あるいは国々や地方によって厚遇したとしても、黙ってそれを見守るべきであり、彼らに対して悪口を言ってはならない。
302.
302.
Hatthāroheanikaṭṭhe, rathikepattikārake;
Tesaṃkammāvadhānena, rājāvaḍḍhetivettanaṃ;
Natesaṃantarāgacche, sarājavasatiṃvase.
象使い、近衛兵、戦車兵、歩兵たちの働きに注目して王が俸給を増やすとき、その邪魔をしてはならない。そのようにする者が王宮に住むことができる。
303.
303.
Cāpovūnūdarocassa[Pg.108], vaṃsovāpipakampayye;
Paṭilomaṃnavatteyya, sarājavasatiṃvase.
弓のようにしなり、竹のように揺れ動くべきである。王に逆らってはならない。そのようにする者が王宮に住むことができる。
304.
304.
Cāpovūnūdarocassa, macchovassaajivhako;
Abhāsaṃnipakosūro, sarājavasatiṃvase.
弓のようにしなり、舌のない魚のようであるべきである。言葉少なに、賢明で勇敢である者こそが、王宮に住むことができる。
305.
305.
Nabāḷhaṃitthiṃgaccheyya, sampassaṃ tejasaṅkhayaṃ;
Kāsaṃsāsaṃthaddhābalaṃ, khīṇamedhonigacchati.
威光が衰えるのを予見して、女に深く溺れてはならない。精根を使い果たせば、咳や喘息、気力の衰えに見舞われる。
306.
306.
Nātivelaṃpabhāseyya[Pg.109], natuṇhisabbadāsiyā;
Avitiṇṇaṃmitaṃvācaṃ, patthakāleudīraye.
長々と話しすぎてはならず、また、常に沈黙していてもならない。時宜を得たときに、度を越さない控えめな言葉を語るべきである。
307.
307.
Akodhanoasaṅghaṭṭo,Saccosaṇhoapesuṇo;
Samphaṃgiraṃnabhāseyya,Sarājavasatiṃvase.
怒らず、争わず、真実を語り、穏やかで、中傷せず、無駄話をしない者こそが、王宮に住むことができる。
308.
308.
Mātāpitubharoassa[Pg.110], kulejeṭṭhāpacāyiko;
Hiriottappasampanno, sarājavasatiṃvase.
父母を養い、一族の年長者を敬い、恥を知る心(慚愧)を備えている者こそが、王宮に住むことができる。
309.
309.
Vinitosippavādanto, yatattoniyatomudu;
Appamattosucidakkho, sarājavasatiṃvase.
しつけがなされ、技芸に熟達し、自制心があり、規則正しく、柔軟で、放逸にならず、清廉で有能な者こそが、王宮に住むことができる。
310.
310.
Nivātavuttivuḍḍhesu[Pg.111], sappatissosagāravo;
Sūratosukhasaṃvāso, sarājavasatiṃvase.
年長者に対して謙虚で、礼儀正しく敬意を払い、穏やかで付き合いやすい者こそが、王宮に住むことができる。
311.
311.
Ārakāparivajjeyya, saññituṃpahitaṃjanaṃ;
Bhattāramevudikkheyya, nacaaññassarājino.
送り込まれた間者を遠ざけ、自らの主君だけを仰ぎ見て、他の王を仰いではならない。
312.
312.
Samaṇebrahmaṇecāpi, sīlavantebahussute;
Sakkaccaṃpayirūpāse, annapānenatappayye;
Āsajjapañhepuccheyya, ākaṅkhaṃvuḍḍhimattano.
戒律を守り博識な沙門やバラモンを敬って仕え、飲食物で満足させ、自らの向上を願って近づき、教えを問うべきである。
313.
313.
Dinnapubbaṃnahāpeyya[Pg.112], dānaṃsamaṇabrahmaṇe;
Nacakiñcinivāreyya, dānakālevaṇibbake.
以前から行っていた沙門やバラモンへの布施を絶やしてはならない。また、物乞いが布施を求めているときに、それを妨げてはならない。
314.
314.
Paññāvāvuḍḍhisampanno, vidhānavidhikovido;
Kālaññūsamayaññūca, sarājavasatiṃvase.
智慧があり、徳を積み、諸事の処理に精通し、時と場合をわきまえている者こそが、王宮に住むことができる。
315.
315.
Uṭṭhātākammaceresu, appamattovicakkhaṇo;
Susaṃvihitakammanto, sarājavasatiṃvase.
務めに励み、放逸にならず、洞察力があり、仕事を万全に整える者こそが、王宮に住むことができる。
316.
316.
Khalaṃsālaṃpasuṃkhettaṃ[Pg.113], gantācassaabhikkhaṇaṃ;
Mitaṃdhaññaṃnidhāpeyya, mitañcapācayeghare.
脱穀場、納屋、家畜、田畑を頻繁に見回り、穀物の量を量って貯蔵し、家で調理する分も量らせるべきである。
317.
317.
Puttaṃvābhātaraṃvāpi, sīlesuasamāhitaṃ;
Anaṅgavāhitebālā, yathāpetātathevate;
Coḷañcanesaṃpiṇḍañca, āsanañcapadāpare.
息子や兄弟であっても、戒律を守らず、役に立たない愚か者は、死人のようなものである。彼らにはただ、衣食住を与えるにとどめるべきである。
318.
318.
Dāsekammakarepose[Pg.114], sīlesususamāhite;
Dakkheuṭṭhānasampanne, adhipaccamhiṭhāpaye.
召使や労働者であっても、戒律をよく守り、有能で勤勉な者であれば、管理職に就かせるべきである。
319.
319.
Sīlavācaalobhoca, anuruttocarājino;
Āvīrahohitocassa, sarājavasatiṃvase.
戒を持ち、欲深くなく、王の意にかない、公私ともに王の利益を願う者こそが、王宮に住むことができる。
320.
320.
Chandaññūrājinoassa, cittaṭṭhocassarājino;
Asaṅkusakavuttissa, sarājavasatiṃvase.
王の望みを知り、王の心に添い、王を不安にさせない振る舞いをする者こそが、王宮に住むことができる。
321.
321.
Ucchādanenhāpaneca[Pg.115], dhotepādeadosiraṃ;
Āhatopinakuppeyya, sarājavasatiṃvase.
香を塗る、入浴、足を洗う際、あるいは(頭などを)叩かれたとしても、決して怒らない者こそが、王宮に住むことができる。
322.
322.
Kumbhiñhipañjaliṃkriyā, cātañcāpipadakkhiṇaṃ;
Kimevasabbakāmānaṃ, nadādaṃdhīramuttamaṃ.
水瓶にさえ合掌し、交差点でも右回りに敬礼すべきである。ましてや、あらゆる望みを叶えてくれる最高に賢明な方(王)に、どうして敬意を払わないことがあろうか。
323.
323.
Yodetisayanaṃvatthaṃ, yānaṃāvasataṃgharaṃ;
Pajjunnorivabhūtānaṃ, bhogehiabhivassati.
寝所、衣服、乗り物、住まいを与えてくれる。あたかも雨雲が生きとし生けるものに降り注ぐように、富を雨降らせるのである。
324.
324.
Dvevimekaṇḍakātikkhā[Pg.116], sarīraparisositā;
Kāmetiniddhanoyoca, yocakuppatyanissaro.
身体を枯れさせる二つの鋭い棘がある。一つは貧乏なのに贅沢を望むこと、もう一つは力がないのに怒ることである。
325.
325.
Adhanassarasaṃkhādā, abalassahatāhatā;
Apaññassakathāvākyā, tividhaṃhīnalakkhaṇaṃ.
貧しいのに美食をすること、力がないのに暴力を振るうこと、智慧がないのに議論をふっかけること、これら三つは卑しい者の特徴である。
326.
326.
Pathabyāmadhurātīṇi[Pg.117], ucchunārīsubhāsitaṃ;
Ucchunārīsutappanti, natappantisubhāsitaṃ.
地上には三つの甘いものがある。サトウキビと、女と、善き言葉である。サトウキビと女には満足するが、善き言葉にはどれほど聞いても満足することがない。
327.
327.
Pathabyātīṇiratanāni, saṅgahānimahītale;
Sippaṃdhaññañcamittañca, bhavantiratanāime.
地上には三つの宝があり、それらは世に保持されている。技芸、穀物、そして友、これらが宝である。
328.
328.
Kalyāṇamittaṃkantāraṃ, yuddhaṃsabhāyabhāsituṃ;
Asatthāgantumicchanti, muḷhātecaturojanā.
善友を訪ねること、荒野を行くこと、戦場、そして集会で発言すること。備えも持たずに行こうとするなら、その四人は愚か者である。
329.
329.
Jīvantopimatāpañca[Pg.118], byāsenaparikittitā;
Dukkhitobyādhitopakkho, iṇavānityasevako.
生きながらにして死んでいる五つの者が、詳しく説かれている。苦しむ者、病める者、不具(あるいは無力)な者、借金のある者、そして常に(他者に)仕える者である。
330.
330.
Cakkhudvārādikaṃchakkaṃ, saṃvutosapaññonaro;
Chabbidhohotisīlena, asīlenāpichabbidho.
眼門などの六つの門を制御する智慧ある人は、戒によって六種となり、また不戒によっても六種となる。
331.
331.
Niddālukopamādoca, sukhitorogavālaso;
Nicchandocakammārāmo, sattetesatthavajjitā.
眠りたがる者、懈怠な者、楽を求める者、病める者、怠ける者、意欲のない者、そして(世俗の)仕事を好む者。これら七つの者は学問(聖典)から遠ざけられる。
332.
332.
Kulajopaññavāchando[Pg.119], hirottapposutaddharo;
Atthakāmosurakkhoca, aṭṭhetesatthayujjitā.
家柄の良き者、智慧ある者、意欲ある者、慚と愧を持つ者、多聞なる者、目的を志す者、そして自己をよく守る者。これら八つの者は学問に従事すべきである。
333.
333.
Kulaseṭṭhosapaññoca, vuḍḍhisūrocasīlavā;
Bahussutovuṭṭhānoca, mīrosugatigāmiko;
Navetesujanāseṭṭhā, pāpāttānaṃnivāraye.
名門の者、智慧ある者、円熟した者、勇気ある者、徳のある者、博識な者、精進する者、勇者、そして善趣へ向かう者。これら九つの者は優れた人々であり、悪から自己を遠ざけるべきである。
334.
334.
Buddhopaccekabuddhoca, arahāaggasāvako;
Mātāpitāgarusatthā, dāyakodhammadesako;
Paṇḍitehiimedasa, na dubbhantītijāniyā.
仏陀、辟支仏、阿羅漢、最勝の弟子(目連・舎利弗)、母、父、師、阿闍梨、施主、そして法を説く者。賢者はこれら十者に対して背いてはならないと知るべきである。
335.
335.
Dhammatthakāmamokkhānaṃ[Pg.120], pāṇosaṃsiddhikāraṇaṃ;
Taṃnighātokiṃnihato, rakkhitokiṃnarakkhati.
法(ダルマ)、富、愛、そして解脱を実現するための根源は命である。それを損なえば何が成就しようか。それを守れば何が守られないことがあろうか。
336.
336.
Sathaṃdīghāyukosabba[Pg.121], sattānaṃsukhakāraṇaṃ;
Asathaṃpanasabbesaṃ, dukkhahetunasaṃsayo.
学問(聖典)は、すべての生きとし生けるものに長寿と幸福をもたらす。しかし、学問なきことは、すべての人にとって苦しみの原因であることに疑いはない。
337.
337.
Yantagatoucchurasaṃ, najahātigajotathā;
Saṅgāmesugatoliḷaṃ, sussutenāpicandanaṃ.
圧搾機にかけられたサトウキビがその甘汁を失わないように、戦場に赴いた象がその威厳を失わないように、また乾燥しても白檀がその香りを失わないように、
338.
338.
Sāragandhaṃnajahāti, dukkhapattopipaṇḍito;
Najahātisataṃdhammaṃ, sukhakālekathāvakā.
(白檀が)その香りを失わないように、賢者は苦難に直面しても、善人の法(正しい道)を捨てない。ましてや幸福な時においては言うまでもない。
339.
339.
Attābandhumanussānaṃ, ripuattāvajantunaṃ;
Attāvaniyatoñāti, attāvaniyatoripu.
自己こそが人間の味方であり、自己こそが生きる者の敵である。自己こそが(制御された)親族であり、自己こそが(制御されない)敵である。
340.
340.
Attānaṃpariccāgena[Pg.122], yaṃnissitānurakkhanaṃ;
Karontisajjanāyeva, nataṃnitimātāmataṃ.
自己を犠牲にして、頼ってくる者を保護すること。これこそが善人だけが行うことであり、最高の道徳であると考えられている。
341.
341.
Satthakabbavicārena, kālogacchatidhīmataṃ;
Byasanenaasādhūnaṃ, niddāyakalahenavā.
賢者の時間は、学問や詩の考察のうちに過ぎていく。悪人の時間は、悪癖や眠り、あるいは争いのうちに過ぎていく。
342.
342.
Bhamarāpupphamicchanti, putimicchantimakkhikā;
Sujānāguṇamicchanti, dosamicchantidujjanā.
蜂は花を求め、蝿は不浄を求める。善人は徳を求め、悪人は欠点を求める。
343.
343.
Namantiphalinorukkhā[Pg.123], namatevabudhājanā;
Sukkhakaṭṭhañcamuḷhoca, nevanamantibhijjate.
果実のなる木はたわみ、賢き人々もまた(謙虚に)頭を下げる。しかし、枯れ木と愚か者は決して曲がらず、ただ折れるのみである。
344.
344.
Sacesantovivādati, khippasandhiyarepuna;
Bālopattāvabhijjanti, natesamatamāgamuṃ.
たとえ善人たちが争ったとしても、すぐにまた和解する。愚か者は(割れた)土器のように壊れ、二度と調和することはない。
345.
345.
Appampisādhūnaṃdhanaṃ, kūpāvārivanissayo;
Bahukaṃpiasādhūnaṃ, nacavārivaaṇṇave.
善人の富は、たとえわずかであっても井戸の水のように(人々の)頼りとなる。悪人の富は、たとえ多くても大海の水のように(飲むことが)できない。
346.
346.
Sokaṭhānasahassāni[Pg.124], bhayaṭhānasatānica;
Divasedivasemuḷhaṃ, āvīsantinapaṇḍitaṃ.
千もの悲しみの種、百もの恐れの種が、日々に愚か者を襲うが、賢者を襲うことはない。
347.
347.
Duṭṭhacittopanāhissa, kodhopāsāṇalekhito;
Kucchitabbosujanassa, jalelekhāciraṭṭhitā.
悪意ある者の怒りは、石に刻まれた文字のように(消えにくい)。善人のそれは、水に描かれた文のように、長く留まることはない。
348.
348.
Nidulukoasantuṭṭho, akataññūcabhiruko;
Sakkontinasamācāraṃ, sikkhituṃtekadācipi.
眠りたがる者、満足を知らぬ者、恩を知らぬ者、そして臆病な者。彼らは決して正しい行いを学ぶことができない。
349.
349.
Sādhuttaṃsujanasamāgamākhalānaṃ[Pg.125],Sādhūnaṃnakhalasamāgamākhalattaṃ;
Āmodaṃkusumabhavaṃdadhātibhūmi,Bhūgandhaṃnacakusumānidhārayanti.
悪人は善人と交わることで善良さを得るが、善人は悪人と交わっても悪に染まることはない。大地は花から生じる香りを保持するが、花が地の臭いを帯びることはないのである。
350.
350.
Guṇamaddhisamaṃmakkhe, parenakalahesati;
Addhisamaṃpakāsentaṃ, anumattaṃpidosakaṃ.
他人と争うとき、(人は相手の)山のような徳を隠し、微塵ほどの欠点を山のように言いふらすものである。
351.
351.
Dosaṃparassapassanti, attadosaṃnapassati;
Tilamattaṃparadosaṃ, nāḷikeraṃnapassati.
他人の過失は見えても、自分の過失は見えない。他人の胡麻粒ほどの過失は見えても、(自分の)椰子の実ほどの過失は見えないのである。
352.
352.
Kodhoatthaṃnajānāti[Pg.126], kodhodhammaṃnapassati;
Andhatamaṃtadāhoti, yaṃkodhosahatenaraṃ.
怒りは利(目的)を知らず、怒りは法(正義)を見ない。怒りが人を支配するとき、そこには深い暗闇が生じる。
353.
353.
Kodhoabbhantarejāto, dhuvaṃnāsetikodhanaṃ;
Vatthālaṅkārapuṇṇāyaṃ, mañjusāyaṃsikhīyathā.
内側に生じた怒りは、衣服や装飾品の詰まった箱の中の火のように、必ずやその怒る者自身を滅ぼす。
354.
354.
Rāgonāmamanosallaṃ, guṇavarattacorako;
Rāhuvijjāsasaṅkissa, tapodhanahutāsano.
貪欲(ラーガ)とは心に刺さった刺であり、優れた徳を奪う盗賊である。それは智慧という月にとっての羅睺(ラーフ)であり、苦行という富を焼く火である。
355.
355.
Natittirājādhanena[Pg.127], paṇḍitopisubhāsite;
Cakkhūpipiyadassane, sāgaropimahājale.
王は富に満足せず、賢者は善言(巧みな教え)に満足せず、眼は好ましいものを見ることに満足せず、大海は大量の水に満足することがない。
356.
356.
Asantuṭṭhoyatinaṭṭho, santuṭṭhopimahīpati;
Sasajjāgaṇikānaṭṭhā, nilajjāsukulagatā.
満足を知らぬ修行者は滅び、満足しすぎる(怠慢な)王は滅びる。恥じらう遊女は滅び、恥を知らぬ名門の女は滅びる。
357.
357.
Bhūpāṇṇavaggithīsippī, abhijjhālucapuggalo;
Etesaṃmahicchantānaṃ, mahicchatāanicchitā.
王、大海、火、女、職人、そして強欲な者。これらの大いなる欲を持つ者たちの欲求が満たされることはない。
358.
358.
Ārogyaṃparamaṃlābhaṃ[Pg.128], santuṭṭhīparamaṃdhanaṃ;
Visāsoparamaṃñāti, nibbānaṃparamaṃsukhaṃ.
無病は最高の利得であり、知足は最高の富である。信頼は最高の親族であり、涅槃は最高の幸福である。
359.
359.
Duggataṃgacchabholābha, lābholābhenapūrati;
Thalepavuṭṭhapajjunna, āpoāpenapūrati.
幸運は貧しい者から去り、利益は利益によって満たされる。乾いた土地に雲が雨を降らせても、水はすでに水のある場所に満ちる。
360.
360.
Bodhayantinayācanti, dehītipacchimājanā;
Passavatthuṃadānassa, mābhavatūtiīdiso.
賢者は教えを説き、乞うことはしない。後代の(劣った)人々が“与えよ”と乞うのである。不施(与えなかったこと)の結末を見よ。このような者になってはならない。
361.
361.
Seleselenamāṇikaṃ[Pg.129], gajegajenamuttikaṃ;
Vanevanenacandanaṃ, ṭhāneṭhānenapaṇḍitaṃ.
すべての山に宝石があるわけではなく、すべての象に真珠があるわけでもない。すべての森に白檀があるわけではなく、すべての場所に賢者がいるわけでもない。
362.
362.
Satesujāyatesūro, sahassesucapaṇḍito;
Vākyaṃsatasahassesu, cāgobhavativānavā.
百人の中に一人の英雄が生まれ、千人の中に一人の賢者が生まれる。十万人の中に一人の能弁家が生まれるが、布施の心を持つ者はいるかいないか(極めて稀)である。
363.
363.
Jinenaāgataṃsūraṃ, dhanañcagehamāgataṃ;
Jiṇṇaannaṃpasaṃseyya, dārañcagatayobbanaṃ.
勝利して帰還した勇者を、家にもたらされた財を、消化された食物を、そして若さを過ぎた(貞節な)妻を、人は称賛すべきである。
364.
364.
Potthakesucayaṃsippaṃ[Pg.130], parahatthesuyaṃdhanaṃ;
Yadāicchesamuppanne, nataṃsippaṃnataṃdhanaṃ.
書物の中にある知識や、他人の手にある財産は、必要が生じた時に、その知識は知識ではなく、その財産は財産ではない(役に立たない)。
365.
365.
Vācāvudhācarājāno, saccāvudhācasamaṇā;
Dhanāvudhāseṭṭhinoca, goṇāvudhādaliddakā.
王の武器は言葉であり、修行者の武器は真実である。長者の武器は富であり、貧しき者の武器は牛(労働力)である。
366.
366.
Ukkaṭṭhesūramicchanti, kolāhalesubhāsitaṃ;
Piyaṃannañcapānañca, atthakiccesupaṇḍitaṃ.
危機に際して勇者が求められ、騒乱の時に善言が求められる。飲食の時に友が求められ、重大な職務において賢者が求められる。
367.
367.
Kapaṇetārayemittaṃ[Pg.131], dubbhikkhedhaññaṃdhāraye;
Sabhāyaṃdhārayesippaṃ, saṅgahānimahītale.
窮状において友を助け、飢饉において穀物を蓄え、会合において知識を保持すべきである。これらが地上における有益な蓄えである。
368.
368.
Dubbhikkheannadānañca, subhikkhecahiraññadaṃ;
Bhayecabhayadhātāraṃ, sabbesaṃvaramaṃvaraṃ.
飢饉の時に食を与え、豊作の時に金銭を与え、恐怖の時に安心(無畏)を与えることは、すべての中で最も優れた善行である。
369.
369.
Haṃsomajjhenakākānaṃ, sīhogunnaṃnasobhate;
Gadrabhānaṃnaturaṅgo, bālānañcanapaṇḍito.
カラスの群れの中の白鳥、牛の群れの中の獅子、ロバの中の馬、そして愚か者の中の賢者は、輝く(調和する)ことがない。
370.
370.
Nasorājāyoajeyyaṃ[Pg.132], jinātinasosakhāraṃ;
Yoayuttenajināti, nasābhariyāpatino;
Virodhatinateputtā, yenabharanti jiṇṇa.
征服すべきでない者を征服する者は王ではなく、不当な手段で勝つ者は友ではない。夫に逆らう者は妻ではなく、老いた親を養わない者は子ではない。
371.
371.
Natthivijjāsamaṃmittaṃ, natthibyādhisamoripu;
Natthiattasamaṃpemaṃ, natthikammaparaṃbalaṃ.
知識に並ぶ友はなく、病に並ぶ敵はない。自己への愛に勝る愛はなく、業(カルマ)の力に勝る力はない。
372.
372.
Itthimissokutosīlaṃ,Maṃsabhakkhokutodayaṃ;
Surāpānokutosaccaṃ,Mahākodhokutotapaṃ.
女色に耽る者にどうして戒律があろうか。肉を食らう者にどうして慈悲があろうか。酒を飲む者にどうして真実があろうか。激しい怒りを抱く者にどうして修行の功徳があろうか。
373.
373.
Kvātibhārosamatthānaṃ[Pg.133], kiṃdūrobyavahārinaṃ;
Kovidesosavijjānaṃ, koparopiyavādinaṃ.
有能な者にとって重すぎる荷がどこにあろうか。商人にとって遠すぎる道がどこにあろうか。博識な者にとって異郷がどこにあろうか。愛語を話す者にとって他人がどこにいようか。
374.
374.
Dubbhikkhokasinonatthi, santānaṃnatthipāpako;
Mugassakalahonatthi, natthijāgaratobhayaṃ.
耕作に励む者に飢饉はなく、心を静めた者に罪はない。沈黙する者に争いはなく、目覚めている者に恐怖はない。
375.
375.
Bālitthīmakkhikātuṇḍi, isīnañcakamaṇḍalu;
Setambuphalaṃtambulaṃ, nojjhiṭṭhamupajāyato.
若い女性、ハエの口、聖者の水瓶、果実、キンマの葉。これらは、使用する者にとって不潔なもの(食べ残し)とはならない。
376.
376.
Pañcaratyāsugandhabbā[Pg.134], sattaratyādhanuggahā;
Ekamāsāsubhariyā, aḍḍhamāsāsissāmalā.
音楽家は五日間、弓術家は七日間、良き妻は一ヶ月、弟子は半月の間(修練や交流を)怠れば、その質は損なわれる。
377.
377.
Malitthiyāduccaritaṃ, maccheraṃdadatomalaṃ;
Malāvelāmakādhammā, asmiṃlokeparamhica;
Malaṃmalataraṃtato, avijjāparamaṃmalaṃ.
不道徳は女の汚れであり、物惜しみは施す者の汚れである。悪しき法はこの世でも後の世でも汚れである。しかし、これらよりもさらに悪い汚れとは無明(無知)という最高の汚れである。
378.
378.
Sutassarakkhāsabbadābhiyogo,Kulassavatthaṃpurisassavijjā;
Raññopamādopasamodhanassa,Itthīnantunatthevajāturakkhā.
常に精励することが学問の守りであり、徳行が家柄の守りであり、知識が男の守りである。放逸は王の蓄えを損なうが、女性を守ることは極めて困難である。
379.
379.
Sattānaṃjaratāhanti[Pg.135], taṇhāhantisabbasukhaṃ;
Sabbabalaṃcintāhanti, dayāhantisakaṃdhanaṃ.
老いは衆生を滅ぼし、渇愛はあらゆる幸福を滅ぼす。憂いはすべての力を滅ぼし、慈しみ(施し)は自らの財を滅ぼす(減らす)。
380.
380.
Nīcevāsosiriṃhanti, hantigaruṃcayācako;
Pasaṃsāsuguṇaṃhanti, hanticittaṃasaññatā.
卑賎な場所での生活は福徳を損ない、乞い願うことは尊厳を損なう。称賛は美徳を損ない、放縦な心は精神を損なう。
381.
381.
Asanaṃbhayamantānaṃ[Pg.136], maccānaṃmaraṇaṃbhayaṃ;
Uttamānantusabbesaṃ, avamānaṃparaṃbhayaṃ.
(王の)怒りは臣下にとっての恐怖であり、死は命ある者にとっての恐怖である。しかし、優れた人々にとって、最大の恐怖は侮辱を受けることである。
382.
382.
Sūriyotapanaṃtapo, nasantiparivāritā;
Candaraṃsītalaṃjātaṃ, tārakāparivāritā;
Upamāetthañātabbā, sūriyacandarājunaṃ.
太陽は灼熱の輝きを放ち、周囲に伴う星はない。月は清涼な光を放ち、星々に囲まれている。太陽、月、そして王たちの間の比喩はここから知るべきである。
383.
383.
Alasomandabuddhica, sukhitorogapīḷito;
Niddāromaṃsavaḍḍhano, subhakkhocaviluddhako.
怠惰な者、鈍才な者、快楽を求める者、病にある者、眠り続ける者、肥満した者、大食漢、強欲な者(これらは学問を成し遂げられない)。
384.
384.
Pamādojāyatemadā, pamādājāyatekhayo;
Khayādosāpavaḍḍhanti, madaṃkiṃnajahebudho.
驕りから放逸が生じ、放逸から破滅が生じる。破滅から諸々の過ちが増大する。賢者がどうしてその驕りを捨てないことがあろうか。
385.
385.
Yādisaṃvappatebījaṃ[Pg.137], tādisaṃphalaṃsampatto;
Kalyāṇakārikalyāṇaṃ, pāpakārīcapāpakaṃ.
蒔いた種に応じた実が結ばれる。善をなす者は善の結果を、悪をなす者は悪の結果を得る。
386.
386.
Puññāpāpaphalaṃyoce, nasaddahatisaccato;
Sovesakānanaṃkhippaṃ, ādāsatalamānaye.
もし功徳と罪の報いを真実として信じないのであれば、その者は速やかに鏡を持ってきて、自分の顔(の衰え)を見るがよい。
387.
387.
Samparāyikattheyo[Pg.138], nasaddahaticepiso;
Āvāsesappagāmīnaṃ, mokkhabhekiṃnapassati.
もし来世の利益を信じないのであれば、悪趣へ赴く者たちの住処を見て、どうして解脱を求めないのだろうか。
388.
388.
Saddhāhiricaottappaṃ, bāhusaccaṃviraṃsati;
Paññācasattadhammehi, sampannopaṇḍitomato.
信仰、恥、畏怖、博識、精進、智慧。これら七つの徳(法)を備えた者が、賢者であるとされる。
389.
389.
Ravimūlaṃsasīkhandhaṃ, soriaṅgācapattikaṃ;
Buddhaṃpupphaṃgarubījaṃ, bharaguphalamevaca.
太陽は根であり、月は幹、土星と火星は枝葉である。水星は花、木星は種、金星はまさに果実である。
390.
390.
Potthakādīnikhettaṃva[Pg.139], lekhāniyuganaṅgalaṃ;
Akkharānibījaṃkatvā, carantopaṇḍitobhave.
書物などは田畑のごとく、筆記は軛と犁のごとし。文字を種子として、[教えを]行う者は賢者となる。
391.
391.
Akkharaṃekamekañca, buddharūpaṃsamaṃsiyā;
Tasmāhipaṇḍitoposo, likheyyapiṭakattayaṃ.
一つ一つの文字は、仏像と等しい。ゆえに、賢者は三蔵を書き写すべきである。
392.
392.
Duggatiṃnābhijāyeyya, piṭakattayakārako;
Bahukkhattuṃcakkavatti, rājācatudīpādhipo.
三蔵を制作する(書き写す)者は、悪趣に生まれることはない。幾度も、四洲を統べる王である転輪聖王となる。
393.
393.
Padesarajjaṃvipulaṃ, gaṇanātoasaṅkhyeyo;
Chakāmāvacarodeva, rājāhotibahukkhattuṃ.
広大な地方の王権、数えきれないほどに、また六欲天の王にも幾度もなる。
394.
394.
Dānādīnicapuññāni[Pg.140], karontobodhiaṅkuro;
Bhavāsabbaṅgasampanno, tilokapūjitobhave.
布施などの功徳を積む菩提の芽(菩薩)は、あらゆる徳を具足し、三界に供養される者となる。
395.
395.
Addhemahaddhanephite, jāyarekulamuttame;
Uttamenevasaṃvāso, piṭakattayavācako.
三蔵を唱える(講ずる)者は、富裕で財産に溢れた最上の家に生まれ、常に最上の者たちと共に住む。
396.
396.
Ekakkharaphalenahi, piṭakattayakārako;
Caturāsītisahassaṃ, labhantipavaraṃsukhaṃ.
三蔵を制作する者は、たった一つの文字の功徳によっても、八万四千の優れた幸福を得る。
397.
397.
Appakenāpimedhāvī, pābhatenavicakkhaṇo;
Samuṭṭhāpetiattānaṃ, anumaggivasandhamaṃ.
賢明で聡明な者は、わずかな手元資金(資本)からでも、小さな火を吹き起こすように、自らを興し立てる。
398.
398.
Dukkhaṃpāpassapuññassa[Pg.141], sukhaṃmissassamissakaṃ;
Sabbaṃsadisakaṃyāti, ñātabbaṃkammunophalaṃ.
悪業には苦しみが、功徳には幸福が、混ざったものには混ざった結果が伴う。すべては相応の結果をもたらす。業の果報を知るべきである。
399.
399.
Codentocatubhāgāca, kammakārātayobhāgā;
Sāminosamabhāgāca, ekabhāgānumodanā.
勧める者には四分、実行する者には三分、主(施主)には同等の分、随喜する者には一分がある。
400.
400.
Anattassavākyāparamaṃtuṇhi[Pg.142],Asantamittāparamaṃekaṃ;
Surūpadārāvaramandhā,Dūrekalābhāvaramassasukkhaṃ.
節制のない者の言葉よりは沈黙が勝り、悪友よりは独りでいることが勝る。容姿の美しい妻よりは盲目であることが勝り、遠くにある利益よりは現在の幸福が勝る。
401.
401.
Hīnacajjopice hoti, uṭṭhātādhītimānaro;
Sīlaācārasampanno, niseaggivabhāsati.
たとえ卑しい生まれであっても、努力家で決断力のある人は、戒律と行儀を具足していれば、夜の火のように輝く。
402.
402.
Nacajjavasalohoti,Nacajjahotibrahmaṇo;
Kammunāvasalohoti,Kammunāhotibrahmaṇo.
生まれによって賤民となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤民となり、行為によってバラモンとなるのである。
403.
403.
Pathavīveḷukaṃpattaṃ[Pg.143], cakkavāḷaṃsucipphalaṃ;
Sineruvammikaṃkhuddaṃ, samuddopātitaṃyathā.
大地はナツメの実の如く、転輪聖王の領土(輪囲山)は小さな果実の如し。須弥山は小さな蟻塚の如く、大海は水たまりの如し。
404.
404.
Ekenevacakappena, mātukhīraṃnasañcayaṃ;
Tatotusamuddocāpi, atirekataraṃbahuṃ.
わずか一劫の間に[一人が]飲んだ母の乳の蓄積は、大海の水の量よりもさらに多い。
405.
405.
Brahmātimātāpītaro, pubbācariyāvuccate;
Āhuneyyācaputtānaṃ, pajānamanukampakā.
父母は梵天と呼ばれ、また最初の師(先師)とも言われる。子らのために供養されるべき者であり、子孫を慈しむ者である。
406.
406.
Tasmāhinenamasseyya[Pg.144], sakkareyyacapaṇḍito;
Annenaathopānena, vatthenasayanenaca.
ゆえに、賢者は父母を敬い、礼遇すべきである。食物、飲み物、衣服、そして寝床をもって。
407.
407.
Ucchādanenanhāpena, pādānaṃdhovanenaca;
Uṭṭhāyapādacariyā, upaṭṭhāpeyyapaṇḍito;
Idhevanaṃpasaṃsanti, paccasaggepamodati.
身体をさすり、入浴させ、足を洗うことによって。賢者は立ち上がって身の回りの世話をすべきである。それゆえに、この世で称賛され、死後には天界で歓喜する。
408.
408.
Ekassekenakappena[Pg.145], puggalassaṭṭhisañcayo;
Samaṃpabbatarāsimhi, itivuttaṃmahesinā.
一人の人間の一劫における骨の蓄積は、山のように積み上がると、大聖者(仏陀)によって説かれた。
409.
409.
Sabbadānaṃdhammadānaṃjināti;
Sabbarasaṃdhammarasojināti,Sabbaratiṃdhammaratijināti;
Sabbadukkhaṃtaṇhakkhayojināti.
法の布施はあらゆる布施に勝り、法の味はあらゆる味に勝る。法への喜びはあらゆる喜びに勝り、渇愛の滅尽はあらゆる苦しみに勝る。
410.
410.
Appamādaratāhotha, sacittamanurakkhatha;
Dukkhāuddharathattānaṃ, paṅkesannaṃvakuñjaraṃ.
不放逸(精進)を楽しみ、自らの心を護りなさい。泥沼に沈んだ象のように、自らを苦しみから引き上げなさい。
411.
411.
Cajadujjanasaṃsaggaṃ[Pg.146], bhajasādhusamāgamaṃ;
Karapuññamahorattiṃ, saraniccamaniccataṃ.
悪人との交わりを捨て、善き人々の集いに近づきなさい。昼夜に功徳を積み、常に諸行無常を念じなさい。
412.
412.
Aniccāvatasaṅkhārā, uppādavayadhammino;
Uppajjitvānirujjhanti, tesaṃvūpasamosukho.
諸行は無常なり。生じ滅する性質(法)をもつ。生じては滅する。それらが静まることが幸福である。
413.
413.
Nahidhammoadhammoca, ubhosamavipākino;
Adhammonirayaṃneti, dhammopāpetisuggatiṃ.
正法と非道は、共に同じ結果をもたらすのではない。非道は地獄へと導き、正法は善趣へと至らせる。
414.
414.
Samasīsaṃsamapādaṃ[Pg.147], antarañcasamaṃsamaṃ;
Idaṃmanasinidhāya, likheyyapiṭakattayanti.
冒頭を整え、末尾を整え、その中間も等しく整えて、これを心に留めて三蔵を書き写すべきである。